【国鉄形電車の思い出】Part10 新性能電車のパイオニア101系(その1) | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1957(昭和32)年に登場した101系(登場当初は90系)は、MM’2両1ユニット方式、中空軸平行カルダン駆動、発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキなど、以後の国鉄形電車のシステムを最初に採用した電車です。そしてこの101系以降の電車は新性能電車として区別されるようになりました。

さて、自分と101系の出会いはまったく記憶に残っていません。物心ついた昭和40年代後半には中央線か総武線の101系には乗っているとは思うのですが。ハッキリと覚えているのは1974(昭和49)年に茨城県古河市にある曾祖父不の家に遊びに行った時に池袋から赤羽まで赤羽線の101系に乗ったことぐらいです。もちろん写真はありませんけど。その後しばらく東京を離れていた事もあって101系との縁はあまりなく、たまに遭遇しても写真を撮ったこともありませんでした。

101系との縁が深くなったのは1982(昭和57)年の春。中1の春休みと中2に夏休みに予備校の講習に叔父の家から通うために、錦糸町から代々木まで中央総武線を利用するようになって、101系に乗る機会が訪れました。
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(錦糸町・1982年3月)
この101系は中野電車区所属の編成ですが、中野所属車は列車番号の末尾がBになっていました。

中央総武線の101系は中野の他に津田沼電車区(後の習志野電車区)にも配置されていましたが、こちらの列車番号の末尾はCでした。
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(両国・1982年3月)
そんな中央総武線でしたが、この頃は様々なタイプの103系が転入してきていて、むしろ103系の方が話題になっていた気がします。

中央総武線と併走する中央快速線も201系の投入が進んでいて、101系冷房改造車は既に南武線などに転出。101系は高尾以降に乗り入れ可能な800番代編成を含めた非冷房車編成が残っていましたが、見るチャンスは非常に少なくなっていました。
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(代々木・1982年3月)
この101系は武蔵小金井電車区所属で列車番号の末尾はHになっていました。このHですが、現在の中央快速では4+6両分割編成に使用されていますね。バックは新宿駅の貨物ヤードですが、現在は埼京線や湘南新宿ライン、成田エクスプレスのホームがあり、新南口も出来ていてまったく景色が変わってしまいましたね。

こんな感じで代々木や千駄ヶ谷で中央快速の写真を撮っていたりしていたのですが、その時に撮影したのが101系非冷房車の特別快速です。
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(千駄ヶ谷・1982年3月)
中央快速線の花形的存在だった特快は、昭和50年代初めには101系冷房改造車と103系によって冷房率100%になっていたので昭和50年代後半に非冷房車の特快というのは非常に珍しいと思います。おそらくなにかの都合で代走したのだと思います。
この101系は豊田電車区の配置で列車番号の末尾はTになっていました。

101系の一部は、晩年に前照灯をシールドビーム化されましたが、中央快速の101系は原形ライトのまま廃車、もしくは転属した車両が多かったと思います。ですので、このようにシールドビーム車の中央快速もあまり見た記憶がありません。
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(水道橋付近を通過中の車内より・1982年3月)
なお中央快速の101系は1985(昭和60)年4月で運用を離脱したそうです。

南武線沿線にも親戚が住んでいましたので72系や101系に乗る機会は意外と多かったです。101系投入当初は快速も走っていて、中央線の特快のような大型愛称板をつけていたのですが、1978(昭和53)年10月のダイヤ改正で廃止されてしまいました。そんなわけで南武線の快速が現在復活しているのはとても不思議に思っています。

話がそれましたが、南武線の101系の中で、個人的に好きだったのが試作冷房改造車です。まぁ、変形車とか珍車は全体的に好きでしたが(笑
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(川崎・1982年3月)
川崎駅の雰囲気も今とは全然違いますね。
1972(昭和47)年に登場した試作改造車は4編成40両が存在しました。外観上の特徴はAU75クーラーが後位よりにオフセット配置されていることです。また電源用のMGは210kVA容量のものを基本編成のクモハ100とモハ100に搭載して、それぞれ5両分の給電を行なっていたため、付属編成のモハ100にはMGが搭載されてなかったそうです。
南武線では6両編成に組み替えられたのですが、210kVA容量のMGは最大6両まで給電可能だったので、MGなしのモハ100はクモハ100と組んでいたそうです。この写真の編成は川崎より2両がカナリアンイエロー、立川より4両がオレンジバーミリオンなので、試作冷房車と量産冷房車の混結科と思われます。
その場合2両目のモハ100には210kVAのMGが搭載されていて、クモハ100にも160kVA容量のMGが積まれていますので、電力量的にはオーバーな編成ということになりますね(笑
なお、南武線は中央快速線からの転入車が多かったので、度々カナリアンイエローとオレンジバーミリオンの混色編成が見られました。

このクモハ100-167も試作冷房改造車。あきらかにクーラーの位置がずれているのがわかりますね。この車両には210kVAのMGが搭載されているので、編成内のモハ100はMGなしということになりますね。
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(武蔵中原・1983年)
連結されているモハ101を見ると分かりますが前位側のグローブ形ベンチレーターが3個あるのに対して後位側のグローブ形ベンチレーターは2個しかありませんでした。
銀塩フィルムの時代は無限に撮影することができないので、どうしても撮影対象を絞る必要がありました。しかも1982(昭和57)年は東北・上越新幹線の開業や153系の引退など撮影対象が非常に多く、101系など通勤形電車を撮ること自体が非常に少なかったのは悔やまれます。そんななかで変形車だった試作冷房車は101系の中では別格的存在でした。

JR東日本に承継された101系はこの南武線と鶴見線が最後の牙城となり、1992(平成4)年には全廃されたそうですが、南武線(本線)の101系を見たのはこの時が最後で、鶴見線の101系はクモハ12を見に行った時に乗ったのが最後で写真すら残っていませんでした(汗
(続く)