【国鉄形電車の思い出】Part9 エポックメイキングだった80系と70系 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

1949(昭和24)年に登場した80系湘南電車は、今までの国鉄形電車の常識を覆す画期的な電車だといえるでしょう。
$はやこまステーション-クハ86001
(交通科学博物館・2007年2月11日)
80系は接客設備を客車並みとして、中間電動車、付随車と制御車で構成する長大貫通編成を基本としたのが大きな特徴でした。また電磁空気弁と中継弁を備えて長編成時のブレーキの応答性を向上させたAER自動空気ブレーキを採用し、その後の国鉄新性能電車への影響を与えています。
また、デザイン面では1950(昭和25)年以降に登場した2枚窓の前面デザインが大ヒットして湘南顔ブームを巻き起こしたのも80系があったからだと言えるのではないでしょうか。
一方70系は1951(昭和26)年から横須賀線用に登場した近郊形電車です。在来形式の混結も考慮してブレーキはAERではありませんでしたが、前面スタイルは80系と同様の湘南顔でこちらも人気を博しました。

自分が70系、80系に初めて出会ったのは1974(昭和49)年の冬のこと。新潟県六日町に引っ越しした時に見た新潟色の70系が最初です。
初代新潟色は窓回りが黄色5号で、上下が赤2号という派手なものでした。記憶では一度六日町から小出まで乗車したことがありますが、なにせ幼稚園~小学2年生までの体験でしたので写真は撮っていません。

そして70系は1976(昭和51)年頃から撤退が本格化して1979(昭和53)年度までに福塩線以外の車両は廃車されてしまいました。
そして福塩線の70系も105系に置き換えられてしまって1981(昭和56)年度までに全車廃車されています。70系は保存車もないため、自分にとって70系の思い出は幼稚園の時に乗った新潟色1度きりでした。
80系についても1976(昭和51)年度から廃車が始まりました。このうち全金属車の300番代の一部は豊橋機関区に転属して飯田線に転用されましたが、119系と165系の投入で、1983(昭和58)年度までに全車引退しています。

そのようなわけで、自分は80系が現役で走っている姿をほとんど見ていません。
かろうじて見ることができたのは、西浜松と豊川に疎開留置されていたクハ86334以下の4両編成だけでした。
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(豊川・1982年)
残念ながら現役を引退した後でしたが、湘南色のこの前面デザインは垢抜けていてかっこいいという印象でしたね。国鉄はなぜこの湘南スタイルの先頭車を1両も保存しなかったのかが未だに疑問です。

ところで80系には郵便荷物合造車クモユニ81が存在しました。4両製造された内3両はクモニ83101~103に改造され、スカ色に塗装されて飯田線で活躍していましたが、この3両が最後まで現役で活躍した80系ということになります。そのうちの1両がクモニ83102でした。
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(豊橋機関区・1982年)

これは豊川駅に到着した豊橋行きの先頭に立つクモニ83103。後ろにクハユニ56などの4両編成を従えていました。
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(豊川・1982年)
ちなみに、クモニ83形100番代は新性能電車との併結機能は持っていませんでした。

80系の現役の姿を見たのはこのクモニ83103の走りでした。
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(伊那松島・1983年6月)

結局湘南顔の80系と70系はまったく保存されることはなかったのですが、80系のクハ86001とモハ80001は保留状態で残されたのは雑誌で知りました。1984(昭和59)年の九州旅行の際に柳井駅の構内にシルヘッダー付の湘南色の車体が見えたのできっとそれがそうだったのでしょう。

そしてこのクハ86001とモハ80001は大阪交通科学博物館に保存されることになり、現在も素の姿を見ることができます。
モハ80001は屋根とホームによって完全に保護されているので保存状態はかなり良いです。
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(交通科学博物館・2002年12月7日)

クハ86001は残念ながら湘南顔になる前の3枚窓車。
$はやこまステーション
(交通科学博物館・2002年12月7日)
技術的な面だけを見るならばトップナンバーを保存するのが普通かもしれません。でもデザイン的に意義がある湘南顔が保存されなかったのが未だに疑問でなりません。

そしてこのエポックメイキングな電車が、自分にとっては一番縁が薄いのも皮肉なものだなって思います。