[1992(平成4)年]
そんな1991(平成3)年4月21日、飯田線中部天竜機関区の跡地に佐久間レールパークが開設されました。同所の目玉は流電ことクモハ52004。現役時代を見損ねた流電を見ようと1992(平成4)年の夏に佐久間レールパークに足を運びました(流電のお話しは後日改めて)。
インターネットも携帯電話も普及していなかった時代なので、保存されている車両の十分な情報も持たずに佐久間レールパークに行ったわけですが、そこで見つけたのがひとつはクモハ12054でした。

(佐久間レールパーク・1992年8月11日)
鶴見線の単行運転用として両運転台化した6両のクモハ12形50番代の内の1両で、1959(昭和34)年にモハ11246(旧モハ31074)から改造されました。晩年は静岡運転所にいて事業用車代用として使用され、1986(昭和61)年に廃車になった後保管されていたようです。
そして当時の佐久間レールパークには救援車クモエ21800も保存されていました。

(佐久間レールパーク・1992年8月11日)
クモハ11231(旧モハ31055)を1969(昭和44)年にクモエ21008に改造したものですが、その後1975(昭和50)年にパンタグラフを後位に移設した上に、パンタグラフ部分を低屋根改造してクモエ21800となりました。低屋根改造は中央西線中津川~塩尻への入線を考慮したもので、神領電車区に配置。1986(昭和61)年に廃車されました。
部分低屋根の旧型国電が保存されたのは多分これが唯一だったのではないかと思います。
[2005(平成17)年]
時代は流れてインターネットが普及すると、今まで全然知らなかった情報が手軽に入手できるようになりました。そしてクモエ21001が栃木県で保存されているという情報を得たので見に行ってみました。

(日酸公園・2005年2月6日)
クモエ21001は1967(昭和42)年にクモハ11106を改造したものです。クモハ11106はモハ11032の二重屋根を丸屋根に改造したもので、元々はモハ30系の制御電動車モハ30086でした。
クモエ21001は小山電車区で晩年を過ごして1986(昭和61)年に廃車されました。屋根付きで保存状態は良かったです。撮影してからもう7年も経ちますが、現在もきれいな状態でいるのか気になりますね。
自分が初めて乗った南武支線のクモハ11+クハ16は1980(昭和55)年には引退し、1984(昭和59)年までには全車廃車解体となったとばかり思っていたのですが、ある日鎌倉総合車両センター(深沢地区、旧大船工場)の横を通りがかった際にクモハ11248を発見しました。

(鎌倉総合車両センター・2005年3月7日)
モハ31076を改番したクモハ11248は、1984(昭和59)年に廃車されたのですが、幸運にも解体を免れて長年大船工場に保管されていたようですね。
そこで、この年の秋に開催された一般公開に行ってみたのですが、隣にナハネフ22 1がいたため、前面を見ることができなかったのは残念でした。

(鎌倉総合車両センター・2005年9月10日)
なお鎌倉総合車両センター(深沢地区)は2006(平成18)年3月31日で閉鎖されてしまいました。同所で保管していた20系客車ナハネフ22 1は鉄道博物館に移設されましたが、クモハ11248は移設されず、閉鎖された旧鎌倉総合車両センターの建物の中で保管されていたようです。あれから6年経ちますが、現在はどうなっているのでしょう?
[2006(平成18)年]
JR発足直後の1987(昭和62)年、JR東海は牽引車のクモヤ22112の室内を改造して、クモハ12041を飯田線に投入しました。クモヤ22112は1964(昭和39)年に中間電動車モハ10016を貫通扉付き両運転化したものです。
さらに元を辿ればモハ30系の制御電動車モハ30131で、モハ11047に改番後に運転台の撤去と丸屋根化されました。
なおモハ10形は履いている台車で番代が区分されていて、モハ10016はDT10を装着した1926(大正15)~1927(昭和2)年製が種車のグループに属します。
クモハ12041は「ゲタ電号」というイベント列車に使用されましたが、現役時代を見る機会はありませんでした。
その後ブレーキの多重化に対応できなかったので2002(平成14)年に除籍され、伊那松島に長らく留置されていたのですが、2006(平成8)年に付近を通りがかった際に敷地外からクモハ12041を撮ることができました。

(伊那松島・2006年3月11日)
実はこの切り妻貫通扉付き前照灯埋め込みのデザインはあまり好きにはなれず、それが現役時代に撮影しに行かなかった理由でもあったりします
[2009(平成21)年]
クモハ12054とクモエ21800が保存されていた佐久間レールパークでしたが、JR東海が新たに建設を発表した博物館(リニア・鉄道館)へ保存車両を移設するため、2009(平成21)年11月1日で閉館することが発表されました。そこで1991(平成3)年以来18年ぶりに佐久間レールパークに足を運び、クモハ12054と再会しました。

(佐久間レールパーク・2009年6月7日)
そしてこれがクモハ12054の最後の姿になってしまいました。そう、クモハ12054はリニア・鉄道館への移設対象から外されてしまったのです。聞いた話ではクモヤ90のモハ63復元のための部品を供出して解体されたそうで、とても残念。
もっとショックだったのはクモエ21800の姿がなかったこと。調べてみたら展示車両の入れ替えによって解体されたとのこと。JR東海って何を考えているのか全然わかりません。
JR東日本も17m級電車を何両か保管していたわけですが、クモハ12052の影でひっそりと解体されてしまった車両もありました。クモニ13007です。

(東京総合車両センター・2009年8月22日)
クモニ13007はモハ40系の17m版であるモハ33系の両運転台車モハ34007を1948(昭和23)年度に荷物車に改造してモニ53007としたものです。このモハ33、モハ34を改造したモニ53は002~016の15両に及んでいます。1953(昭和28)年の形式称号改正で50系グループの荷物電車と同様にモニ13007となり、1959(昭和34)年の形式称号改正でクモニ13007となりました。
クモニ13007の最終配置は山手電車区で1986(昭和61)年度に廃車されてから現在の東京総合車両センターで保管されていましたが、2010(平成22)年に解体されてしまいました。これで旧モハ33系グループは完全消滅となりました。
11月にJR西日本下関総合車両所の一般公開を見に行きました。お目当てはクモハ42001だったのですが、その隣に展示されていたのがクモハ11117です。

(下関総合車両所・2009年11月7日)
クモハ11117はモハ30系の制御電動車モハ30123を1953(昭和28)年の形式称号改正でモハ11035とし、更新修繕で丸屋根化してモハ11117となりました。
晩年は可部線で活躍しましたが、1976(昭和51)年度に72系に置き換えられて廃車。以後幡生工場で保管されていたようです。
クモハ11形100番代は一度も見ることができないと思っていたので、この車両を見つけた時はちょっと小躍りしてしまいました。
モハ30系の直系車両として今後も残ってもらいたいものですが、JR西日本は突然解体しちゃったりするのでちょっと心配です。
[2011(平成23)年]
2011(平成23)年3月14日、名古屋にリニア・鉄道館がオープンしました。ここには歴代新幹線の他、佐久間レールパークや美濃太田などで保存、保管されていた車両の一部も展示されました。その中にクモハ12041もいます。

(リニア・鉄道館・2011年11月7日)
伊那松島で10年ほどの留置の末きれいな姿で保存されるのは喜ばしいことですが、その影で佐久間レールパークのクモハ12054が保存されなかったのは、クモハ12041が旧モハ30系で旧モハ31系のクモハ12054よりも古いという理由なのかと思われますが、実際はどうなのでしょうね?
JR東海はリニア・鉄道館の開館にあわせてクモヤ90をモハ63に復元したのですが、どうせならばクモハ12041もモハ30131まで復元してくれれば……運転台回りはともかく二重屋根にするのは大変ですかね(笑