おだわらぐらし -87ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

日銀本店(日本橋本石町(ホンゴクチョウ)/設計-辰野金吾 明治29年(1896)竣工)の見学に行って参りました。

↑上から見ると「円」に見える事で有名な建屋。
クイズなどでよく出題されているので皆様も多分ご存知でしょうが 創建当時の円は旧字の「圓」なので、「円」という字を念頭にデザインされたものではありません。/ もうイッチョ_「円」の漢字の上の二つの窓に相当する部分は創建当時はガラス張りだったそうです。が震災で破損してしまい、以降は 屋根で覆われてしまった、との事でした。(←見学時に聞いた話。)


さて、実際に近くで見た建屋は_

桜並木や南側に設けられた石塀が邪魔して(ゴメン) 全景が見られませんでした^^;)

↑西側の棟。
↓正面を目指します。



↑あの 西の棟側の 一ヶ所開いている 幅の狭いゲイトが見学者用の入口です。

正面は左右対称に造られており、東側にも人と車両(多分)の為のゲイトがありましたが、そちらは閉じられていました。

面白い事に(あるいは奇妙な事に) 真ん中 には入口は作られていませんでした。

では 受付をして 塀の向こうへ。


↓車両用ゲイト上の要石にはライオンに抱えられた日銀マーク。


ゲイトを潜ると、建屋入口が「すぐそこ」に見えました。(というか 塀と建屋の間隔が狭いんですね)


↑塀には 中央部分に入口は設けられていませんでしたが、本館正面には ちゃんと入口がありました。_。見学者は通れませんでしたが・・・
↓とりあえず この正面の入口の扉上に丸三つが描かれている事、覚えておいてください。(内部からこのステンドグラスを見た時「あ、外から見えてたあの入口だ」と認識する事ができます。)

(↑尚、このステンドグラスの作者は 日本におけるステンドグラス制作の祖 といわれる宇野澤辰雄だそう。)

入口前を くるり と見まわしてみます。

ここは「中庭」と呼ばれるスペース。

↓南の石塀。/ 中央部分に、表には無かったドアが見えます。実は ここは地下金庫への現金搬入口。(安心して車が停められるよう こんな造りになっているんですね?) 現金はトロッコに積みかえられ 真ん中のドア奥にあるエレベーターで地下へ下ろされて 地下の金庫室へ運ばれた~ そうです。


↑「中庭の役割」。これは1F見学時に見たパネルですが、話があちこちしないよう ここに張ります。
↓尚、かつてエレベーターが設置されていた「真ん中の入口」は 現在はお手洗いになっていました・・・。

(↑手前が段差無しのスロープになっているのは 当時からの造り、でしょうか?)

↓時に_表からも見えていた日の丸は 塀の上に立てられていたんですね?おや、その下にあるのは?消火栓?

おお、馬の水飲み場 でしたか。(明治時代、まだまだ輸送には馬が使われていたんだー)

↓右手にハンドル。その下は水道の蛇口? それともこっちに給水管がついていて ハンドルをひねって下の水受けに水を溜めた? (消火栓の様に 地中に水道管が通っていれば 水洗トイレのボールタップ式で 馬には自動で新しい水が給水する事ができますよねー? ただボールタップって明治時代からあったかな?)


時間になり、見学者は 東側の入口へ集められます。

注意事項などを聞き(館内では 決められた場所でしか撮影ができない、 又 録音・動画 電話は不可 その他 飲食・喫煙禁止など~)
入館します。

~が そういう訳で(?)
かなり シーン抜け 。
(本当は二階のドーム下展示室など素敵な空間を歩かせてもらってるんですけどねー)

いきなり 地下金庫室 です。


(↑手前に残っているレールは かつて使われていた「トロッコ」の線路の名残。)

この「一号奥」は地下金庫の一番奥で 本館のドームの真下にあります。(更に_ドーム・二階・一階と同じく 八角形をしています。) 


↑「地下金庫としての設備」
(話それますが 地下室を囲む外掘「ドライエリア」は和製英語だそうで 英語では Areaway もしくはシンプルにArea と言うらしい)

↑奥の金庫は 内部が白っぽかった。これは壁面に使われている煉瓦が 普通の物ではなく 釉薬を掛けて耐水性をUPさせた物だから~ との事でした。

尚、この地下金庫は 明治29年(1896)から平成16年(2004)まで、 108年間使われてきた、そうです。(因みに平成16年以降使われている「現在の金庫」については一切の情報が公にされていません。)

さて、奥の金庫 は見るだけでしたが その手前のコリダー両側の空間には 立ち入る事ができました。
↓左手の「一号左」(上の図では右側の四角ですが)には お札の束が積み上げられていたのですがー

(↑余談ながら、この区画に入るための入口の縁も、白い釉薬が掛かった物 が使われていました。)

↑これで「一千億円」だそうです。 全然ピンときませんでしたが、ガイドの方の「大谷選手が2023年にドジャースと結んだ契約金が約一千億円(≒7億ドル)でしたよね?」と言うと みんな「おおー!」と叫んでました^^;)

改めて、スゴイな大谷君!

あ、ここは ゆるめ の撮影スポットにもなっていました。(お札の 顔出し などが置かれたりして・・・)





↓「一千億円」の札束が展示されていた向かい の空間 「一号右」に入ってみます。

↓色んな展示品や説明のパネルがありました。

↓これは 世界初の「銀行券自動鑑査機」ですって。


↑損券 事故券 色々に分類されるみたいだけど「重ね取り券」って何だろう? (くっついちゃってるもの、とか? 尋ねてみればよかったなあー)

↓「マニ車」なる貨車 の模型。

一般的には「マニ車」と言ったらこんな物⇒ をさしますが、日銀さんの「マニ車」は お金を運ぶ貨車。 あ、じゃMoney Trainからのネーミングね? かと思ったらこれが違ってました。
国鉄の車両の形式記号で「マ」が 重量42.5t~47.5tである事を、「ニ」は使い方_荷物車である事を指している、んですってー!(へー)

↓こんなパネルも。

(↑カメラでは一枚に収めきれない全景図。)
↓これは本店の南の貨幣博物館から撮ってもの、かなー?


↓撮影スポット。/ 地下金庫へ入る とんでもない分厚さの扉、の写真。(本物は撮れません)


↓スタンプコーナーもありました。(スタンプ好きの亭主はもちろん ぺたぺた してましたよ^^)



一見何も無い~
かのように思えるコリダー部分にも見所があります。


まず 創建当時のレンガがそのまま残っている、事。

↑天井が かまぼこ形に波打っているのが おわかりになるでしょうか? 強度を上げるためにこの造りになっているそうです。(垂直荷重を分散) そして実際 関東大震災の折も ほとんど被害は受けなかった そうです。


一階へ移動します。


↑見学者が一斉に上を向いて撮影を始めました。
↓皆が撮っているのは ロビーの上のガラスの天井。


今は上に金属製の屋根が葺かれていますが、昔はガラスの天井の上は「ガラスの屋根」で太陽光が一階まで射す 麗しい空間だった、そうです。


↓因みに 私達がいるのは「客溜(キャクダマリ=Lobby)」という空間。円の字の四角い窓部分、です。

↓かつては「客溜」を囲むように「営業場」があったそうです。




↓記帳台。


↓客溜と客溜の間のコリダー部分。

(↑二階のアーチ形窓が並ぶ所、昔は 他の銀行のように 監視の人が立っていたりしたのかな?)

↓「客溜の装飾」、を見ていきましょう。

↓窓の上のアーチのキーストーンが「コンソール(渦巻きを伴うS字の装飾)」になっている、キーストーンか囲むように配された丸い皿状の装飾は「パテラ」、柱の上の黒い柱頭(キャピタル)はコリント式、その下の真っすぐな柱は「ピラスター」、

↓ピラスターに取り付けられた照明は 今は直線的で和モダンな感じのものになっていますが、パネルの写真を見るに かつて支持金具の先に花形のシェードを持つ 繊細で可愛らしい物だったみたいですね?

↑照明の横の鏝細工は 上から「ギローシュ(組紐飾り)」、「エッグアンドダーツ」、「アカンサス唐草文様」。

南の玄関ホールへ。


(↑因みにこの上の二階、ドームの下の八角形の部屋は かつては重役会議室、 一時は総裁室 だったそうですよ?)

↑あの 中庭から見た「正面玄関」です。

↑ドア上の「三つの丸」のステンドグラスが目印。

やー 見応えあったー。
(白状すると もっと写真撮らせてもらいたかったなー)

「ありがとうございました」


この後は 「お昼!」です。

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<おまけ>
↓日銀本店の東隣は三井本館。

(↑奥に見えているのは日本橋三井タワー。この後あそこで中華を食べたのですが それはおいておいて_)
↓こちらの建屋も「さすが」な美しさでした。

が、何がデザインされているのだろう?/右は麦と鋤だと思うんだけど 左は歯車シャベルに金づち?上にやじろべえ??? 
ググったら「三井広報委員会」のHPに答えが載ってました。⇒
「歯車・調速機・鉄槌」=機械工業。
_ですって。(とほほ やじろべえじゃなかったー。 で又 調速機が何やらわからず 調べちゃったりした アタクシ^^;)
世の中まだまだ 知らない事だらけだー。。。