おだわらぐらし -19ページ目

おだわらぐらし

縁あって暮らす事になった相模の国 小田原
一杯見て 一杯歩いて 一杯味わいたいと思います

(つづき_)
相洋高校校門まで上がってきました。

おー咲いてるさいてる。

このカーブあたりの 斜面地際に植えられたツツジは「高さ」があって、まるで「塀」のよう~。




↓動画で。


坂を上り切った所に 高校のグラウンド側の門。


↑海が見えた。(マンション群の手前に 三の丸小学校の屋根がのぞいています。/もう少し行くと小田原城の天守閣も見えるのですが「ネットの中」なんですよー・・・)


城山公園(慰霊塔のある公園)西側の空堀跡(小峰御鐘ノ台大堀切(オオホリキリ)-東堀)を歩きましょう。(亭主が 谷津の「競馬場跡」を見たいと言うので 案内する事にしました_ いきあたりばったりの城山散歩、です。)

↓何度もUPしているので 今更~ですが、ここは戦国時代の小田原城を囲んでいた総構(ソウガマエ)の西の端。右手が城内、左が城の外、になります。 もっとも秀吉に攻められた時、総構は西へ拡張された(御鐘ノ台、部分)ので 「小田原攻め」時代にはここは西の端ではなくなってたんですけどね_)))


_ともあれ 切通しのようになった かつての「空堀」の底部分、を歩いて参ります。(谷津への近道、なので)
↓堀の上の木を見上げる。



↑サルノコシカケ、だよね? と思いながら でも一応、とAIに聞いたら「この画像に写っているのは『コフキサルノコシカケ(粉吹猿腰掛)』というキノコです。」との事でした。 へー。(昔はサルノコシカケ科~に属していましたが 今はマンネンタケ科に分類されているそうなー へーへー)

さくさく行きます。




↑ぽとり と筍が落ちていた。上の竹藪で掘った人が落とすも 拾いに下りるのが面倒でそのままにした物、とか? ともあれ「遺失物」を拾う訳にはいかないので(さりとてどこかへ届けるのも_) そのままに。


↑北へ抜けてから 振り返ってみた堀切。

畑の脇の道を北へ歩きます。



(↑立木仕立ての藤の咲き具合、素敵~)
↓Ch.L前を通り過ぎる。(ちょっと御無沙汰してますー。ツっ君ごめん又こんどー)

↓稲荷森側、通過ー。

↓無人直売所を覗く。

↓この季節はやっぱりタケノコ、よねー。


↓畑の上でとんぼ凧が きりきり舞いをしていた。

↓のに、動画で撮ると おとなしく揺れる・・・。(なぜー)


↓石楠花、ほとんど花季を過ぎていた・・・。


↓でもその奥のトキワマンサクは今が盛りっぽかった。

更に行きます。

↓大根畑。

↓薮の陰に野イチゴの花が咲いていました。



↑花に来ていた蝶。/ モンシロチョウかと思ったのですが AIに尋ねたら「スジグロシロチョウ」と教えてくれました。。。

総構の北の端まで来たら、遠くに丹沢の峰が見えました。



↑斜面地の向こうに八重桜がドッサリ咲いていました。(庭の木とは思えないので・・・食用の畑かな?)
↓反対の海側(南)を見やったところ。

(↑鉄塔のそばに天守閣が チラ っと見えてます・・・)

さて、亭主が見たいと言っていた谷津の競馬場跡というのは・・・ 今は住宅地になっているんです。が 地形的に なんとなくですが 「競馬場跡」とわかる、んですよー。
↓総構の尾根道から北へ下ります。


↑写真ではわかりにくいのですが、崖地の東が 馬蹄形になってるんですねー。
↓案内板(下が北)。/ 上で通っているのは 図でいうと法授寺の下の20と21の間の小径です。

↓グーグルの航空写真(上が北)だとこんな感じ。

しかしこの崖地は 人工的に作られたもの。元々は梅畑の広がるなだらかな丘陵地だったそうです。が、関東大震災で経済危機になり、復興資金調達のため競馬場を作る案が浮上。丘を削ってすり鉢状のコースを作った~ といいます。
詳しくは市の「デジタルアーカイブ⇒+」をご覧ください。
今年1月のタウンニュースにも いい写真 ⇒ がありましたー。

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あーよく歩いた~
という訳で この後は駅のスタバで休憩しました。