
(創刊に関わった人物として 武者小路実篤、志賀直哉など そうそうたる顔ぶれが並ぶ 雑誌『白樺』については こちら⇒* を。)
↓今回の企画展には館内 1~3、三か所の展示室が使われていました。/ まず1Fの「展示室1」に入ります。

↓展示物のうち 表紙などは OKマークがついていたので 有難く撮らせてもらいました。


↓誰が描いたか_ 解説をいれなくてもスグそうとわかる 特徴ある童女の絵。(はい、岸田劉生が描いた表紙、です^^)


表紙以外にも岸田劉生の作品が並んでいました。




地下の 第二 第三 展示室へ。

(地下の展示品は 撮影不可だったので 絵はここまで_)
_雑誌『白樺』は、 武者小路実篤や志賀直哉など 後に日本の文壇の重鎮となっていく青年たちが 20代の頃に集って作った~ 同人誌的な文芸誌 と思っていましたが 意外にも(無知をお許し下さい) 西洋美術の紹介 にも力が入れられていたんですね? 展示品には武者小路実篤自身が描いた油絵(エジプトの木彫と桃の静物画など) や (実篤が絵のモデルとした)エジプトの木彫などもあって 興味深かったです。
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<おまけ>
美術館を出た後は_
かつてここにあった 実業家・原安三郎の別荘「松籟荘(ショウライソウ)」の庭を歩きました。


↑美術館に近い場所にある 南欧風のアーチ型の窪みを持つ壁、石畳の上の噴水。
↓壁の前の階段を下りて行くと_


↑煉瓦の土台が見えました。 洋館の跡でしょうか?

↑別の角度から_。主屋としては小さすぎますね? 別棟のナニカ かな?
↓道なりに行くと_

石碑がありました。
↓右の石には、

↑「原始 女性は太陽であった 真正の人であった」という平塚らいてうの言葉が彫られていました。
でも あれ? らいちょうって茅ヶ崎の人でしたっけ? と思ったらー
へー、らいちょうさん ここ茅ヶ崎で 夫となる5歳年下の奥村博史さんと出会ってたんですねー。
↓その左の石には こんな文が刻まれていました。

↑「平塚らいてう 1886~1971
東京に生れ日本女子大学に学ぶ
1911年の青鞜創刊の辞「元始 女性は太陽であった」は 日本女性初の人間宣言として
後世につたわる
大正期に新婦人協会とおこし 女性に禁じられていた政治への一歩をひらく
第二次大戦後も女性解放 世界平和の初心を貫く
生涯の伴侶奥村博史と南湖の地でめぐりあい 茅ヶ崎を「愛のふるさと」と偲んだ らいてう を想い この碑を建立す
1998年 5月13日 」
へー。
では この二つの石碑の前の道を進み、日本庭園の方へ行ってみます。

_つづく