藤沢の三島山-感応院(カンノウイン) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

遊行寺坂を下り、遊行寺交差点を過ぎー
↓左へ折れます。

境川左岸の支流「滝川」を渡ります。

↓橋はその名も(?)「滝川橋」。

(滝川は小さな川で「準用河川」だそうです。が 意外にも源は横浜市戸塚区の原宿で、鎌倉市も通って~ 藤沢市の大鋸で境川に注ぐので 三市を流れているんですねー。)

↑橋から見た川上側、 ↓川下側。


橋を渡ってすぐ の場所に建つお寺_感応院


創建は建保6年(1218)。開基は鎌倉幕府3代将軍源実朝(1192-1219)だそう。宗派は真言宗。/ 話それますが_ 実朝の墓のある寿福寺(←因みに母政子もここに眠っています)は臨済宗。もう一つの墓は 真言宗である高野山の金剛三昧院(←発願者 母-政子)にあるそうな。/ 鎌倉時代の人にとって宗派 なんて 小さな事 だったんですかね?

門を潜ります。




右手に鐘撞堂。


正面に弘法様。


左はー



↑扁額には「(不動明王の種字カーン)不動尊/ 当山鎮守 源頼朝公勧請/ 三嶋山 瑞光密寺 無垢染院」と記されています。 

不動堂の右隣は?


↑お堂の名を記したものは見えません。庫裏、でしょうか?
↓瓦には源氏の笹竜胆。


右に鳥居_。



鳥居の扁額にはー

↑「(最初の梵字は 三嶋大明神の本地 薬師如来を表すベイのようですね?) 三嶋大明神 / 智證大師自作 源實朝公念持佛 / 昭和甲干盂(?)春日 苾??釋(?)丹照敬書」(よめませーん^^;)
↑しかし 一説に「藤沢の地名の由来は 頼朝が三嶋大明神を勧請した折の奉行 藤沢清親の苗字から~」 というのですがこの扁額には「実朝」って記されてますね・・・。ただし 三嶋大明神を勧請した とはなっていない_。ここも 勧請したのは頼朝、なのでしょうか? (でもお堂の中には実朝の念持仏、なんですよね?)

よくわかりませんが、この三嶋大明神が祀られたお堂は 見応えありました!

「凛」とした姿。美しい。


しかもこのお堂、回るのだそうです。回しているところ 見てみたいなー。(転輪蔵のような感じかな?/で、中に実朝の念持仏が納められている?)

ありがとうございました。

退出いたします。


境川を渡り、藤沢駅の方へ戻ると_



↑↓滝川が境川に注ぐ地点が見えました。


境川はこの先で柏尾川と合流し、江ノ島の方へ流れていきます。(境川は江ノ島への砂洲を作っている川です。)




<おまけ>
・藤沢橋西詰近くに 「江の島弁財天 道標」 がありました。


↑「(弁財天の種字ソ)ゑのし満」。
↓横にあった説明板。

ああ、昔はこの辺りに「江の島弁財天一ノ鳥居」があったんですね。(参道がここから始まっていたんだー)

・藤沢で見たマンホールの蓋。藤沢市の花 藤 がデザインされています。





松バージョンもありました。

↑松は 「藤沢市の木」 だそうです。(へー)