自転車で古河の町を回ります-2 駅周辺の寺社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

レンタサイクルでの町めぐり_

最初に向かったのは麒翁山-正麟寺(ショウリンジ)

古河藩藩主 小笠原氏の菩提寺で 曹洞宗のお寺、との事。(+家老 鷹見泉石の墓もここにあるそうな)




↑入口上に寺号。お賽銭箱の紋は小笠原家の三階菱。

続いて訪ねたのは 長久山-本成寺。(日蓮宗)


(↑左手の黒い石に「古河城北 赤門の寺」と彫られています。尚この赤門は 古河城北門を移築したもの、とか。)


右手に立派な鐘撞堂。/ その奥の鬼子母尊神のお堂からは 複数のお坊様達による読経が聞こえてきてました。


↓手水舎。


(お水は出ていませんでした_)

本堂。

屋根に扉に日蓮宗の宗紋 井桁に橘 の紋。


ありがとうございました。


続いては 雀(スズメ)神社へ。

神社北の木立脇に こんな説明板_。

「古河藩 野渡(ノワタ)御蔵跡」
野渡(←雀神社北の地名/尚 栃木県)に置かれた 川辺の村々からの年貢米が納められた蔵の跡だといいます。 (ただ、この説明板が立っていたのは 境内裏の杜で、地図的には今の野渡の境からは200m程南、でした_)/ 付けられた絵_「文化期の宿駅のようすを表した『日光道中分間延絵図』」には「十数棟の建物が描かれている~」との事。(左の木々で四角く囲まれた所が神社で その裏手の杜を持つ区画が御蔵?)

境内地へ_。

(↑道側に「殉国之霊」と記された塔。)

神社の神殿部。

表へ回ります。




(三つ銀杏 が御神紋のよう。)

ご挨拶いたしましょう。

由緒書があった。

雀神社(スズメジンジャ)
 雀神社の祭神は、大己貴命・少彦名命・事代主命の三神であるが その創立は明らかではない。伝承によれば、貞観(ジョウガン)年間(859~876)に出雲大社から勧請したものだという。その社名については、鎮宮(シヅメノミヤ)が転化して雀宮になったという その後、康正(コウショウ)元年(1455)足利成氏が古河公方となってから、初代成氏はもとより代々の公方の崇敬が高く、また、徳川将軍家、並びに累代古河藩主の崇敬もあつく、御朱印地十五石を賜った。したかって、社殿の造営修理なども累代の藩主が行ない、現在の社殿は、慶長十年(1605)松平丹波守康長の造営したものである。」
へー。 (雀 関係なかったー^^;/尚 雀の宮という地名+駅名+神社名は すぐ北の栃木県側にもありますが そちらの雀の宮 が こちら_茨城県古河の雀神社と関係があるのかないのか・・・ 調べきれませんでした。。。)

裏からお参りしてしまったので、一度南へ抜けます。

ワイルドな狛犬だよ?

(↑しかし右の犬は 参拝者の方を向いてて ちゃんと「番」のお役をしてるけどー)
(↓左の犬、参拝者にお尻を向けてるって... 謎~)


(↑一応顔、は参道側を向いてましたがー)
狛犬達の先に手水舎。

↓手水鉢の彫り物、素晴らしい!


鳥居。


↑「正一位雀大明神」(正一位は神階の最高位。雀大明神は お名前は和み系だけど 位の高い神様、なんですねー)

境内左手(川側)に建屋。

↑左は神輿蔵。右は何かなあ?(蔵なのか社なのか・・・)
↓その北の神楽殿は 渡廊下で本殿とつながっていました。

改めての本殿-拝殿。

個性的なお顔の狛犬達。



拝殿と渡廊下でつながる社務所。


社務所入口前には 狛犬ならぬ 狛猫たちが?


もうすぐ ご飯の時間なのでしょうか?

和んだところで 次の神社へ。


この後は 栃木県エリアを回っております。項を変えます。