流泉庵の南のお堂を拝見するところから~ 綴ります。
(↑小径の左が流泉庵、右が竹林、です。)
英勝寺の建つ場所は源氏山の東の裾野で 切岸(キリギシ)という山の斜面を垂直に切って作った崖地に面しています。高低差もあって とても複雑な地形で~ (私的にはとても) 面白いんですねー。
↑竹林への小径に入らず 直進するとー
↓右手に切岸を穿って造った 金毘羅様のお堂(龕)が現れます。
(↓中には火灯窓を持つ祠が置かれていました。)
金毘羅さんの龕の左手には 崖地を削って作った石段。(上ってみたかったナー)
更にその左、石を積んだ「塀」の向こうにも 人工的に削られた部分がありますねー。
四角く掘られた龕には二体の菩薩立像。(んー?普通二体の菩薩様~は如来の両側に控えているものですが・・・ ハテ?)
↑菩薩様方は 左に見えるお堂の後ろ_(神社だと神殿部に相当する部分)の供養塔(?)を守っているのかな???
後で知りましたが、このお堂は「祠堂(シドウ)」で、開基者-(家康の側室)英勝院様が祀られていたのでした。(覗き込んでスミマセン・・・)
↑祠堂の屋根飾りには葵の紋。鳥休みには三つ巴がついていました。
後から行った反対側の平場(ヒラバ)から見た祠堂の裏と龕。
(↑石垣の向こうに見えるのが金毘羅宮です。)
↓祠堂後ろの龕には 来迎印を結ぶ阿弥陀様が立っておいででした。つまり 先に見た二体の菩薩像と合わせて~ 「阿弥陀三尊像」だったのです。 (す すると 祠堂は この三尊にとっての(神社でいう)拝殿部になる、のでしょうか??? _ わからず終いです...)
(↑阿弥陀様の横に立つなら、二体の菩薩達は観音菩薩と勢至菩薩かしら。にしても この立ち方は少し珍しい?)
祠堂正面へは、一度 (金毘羅宮のある所から) 一段下に下りー
唐門を抜けて向かう事になります。
前まで行ってわかりましたが
見えているのは覆い屋で この内に 美しい塗りのご廟があるのでした。(↓桔梗の紋が散りばめられ華やかですネ)
(↑扉は閉じていました。)
(↓中のお位牌も写る「文化遺産オンライン」の頁。)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/270086
色々順番が乱れましたがー
仏殿へ行ってみましょう。
↑仏殿 正面。
↓扁額の文字「寶珠殿」。
(↑きっと元は華やかな彩色が施されていたんでしょうね?)
↓説明板。
↑「本尊は阿弥陀三尊像 運慶作と伝えられています。英勝院を開基として寛永12年(1635年)に創建されました。
拝観後は窓を閉めて下さい」
_という事は 窓を開けていいんだー!
拝見した内部は~
浄土宗らしい 浄土への憧れ、が伝わってきました。(本尊物はもちろん、壁画 天井が美しいー)
仏殿の南には 山門が建っていました。
(↑華やかな瓦。(銅葺きですけど。))
表へ回ります。
(なかなか 全体が撮れません^^;)
↓寺号が記された扁額。
↑リーフレットによると「後水尾天皇御宸筆」との事。
(<+>
山門は大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しています。が 建材(?)は保管されており、平成23年(2011) 元のこの場所に再建された~ そうです。)
山門の西_ 山側に石段が見えます。行ってみましょう。
↓ん?左にも 石壇と龕が?
↓あっ 今 あのトンネルから人が出てきたよ? どうなってるのー?
↑「出口」って札が立ってる。入口はどこー?
・・・ と そちらは後で行く事にして~
まずは 観音様(多分)の立つ「平場」へ上がってみます。
ゆらり と立つ観音様はどこかアルカイック期のギリシャの女神様のよう。
この平場からは右手に祠堂を見下ろす事ができました。
(先にも貼った阿弥陀様を見たのは ここから、です。)
引き返します。
石段を下りてー
↑あのトンネルへ行ってみます。
↓あそこが「出口」なら 「入口」もあるはずー・・・。
にしても 複雑な構造・・・。
↓あ、 ありましたよ「入口」です。
入ってみます_。
向こうに「出口」の明かりが見える。
ノミの跡の残る壁+天井(あ、床もですよね)。
↑左の窪みには 来迎印を結ぶ阿弥陀様が座っておいででした。
↓階段を上って~
外へ。
なんだか「不思議」を体験したような 気分ー。(「ここは 本当に さっきと同じ空間、かな?」みたいな、、、)
又山門前を通りー
真っすぐ行くと袴腰を付けた鐘楼があります。
その右手が 総門。(を裏から見たところ)
↑多分この向こうに あの「70m先」の札が置かれているのでしょう。
北に通用門の方への道。
振り返って見た南の鐘楼。
右に目を移すと山門。
西には仏殿。奥に祠堂_。
・・・なんていいお寺。
長い歴史と文化 整った伽藍 豊かな緑と花 不思議な地形 ~ 。
伺ってみて 本当に良かった。
ありがとうございました。
おしまい。