海老名総鎮守-有鹿(アルカ)神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

日が経ってしまいましたがー
実は4月3日(月)、は 秦野市の蓑毛で淡墨桜を見た帰り、 神奈川県で最古の神社であり 海老名市上郷の海老名総鎮守~ という有鹿神社へも行っております。(花の絵を優先的に貼った~ のと 神社の話を綴るには 色々資料を見なくてはならなかった~ のとで 後回しになりました) 


↓海老名ICを降りて 北上。JR厚木駅(←余談ながら厚木駅は海老名市にあったんですねー^^;)を過ぎ 市道17号線に沿って進むと やがて見えてくる鳥居と社号標。



右手に手水舎。

(龍の口から吐かれた水を水盤の外へ垂らす式、です。)



(↑ウィンドチャイムの奏でる不思議なメロディーにしばし聴き入りましたー)


左手 鐘撞堂手前に由緒書。

(明治までは有鹿神社も総持院という別当寺-を持っていました。/ 現在総持院は境内を分けたとはいえ すぐ南に建っています。鐘は総持院に譲ればよかったのでは? なんて思ったのですが_ 実はこの鐘はお寺の鐘ではなくあくまでも「宮鐘」。謂れもあるものだったといいます。が 第二次大戦中に「供出」で失われたのだそう。これは 1978年に再鋳した~ 物との事。)
↓由緒書を読んでみます_。

有鹿神社 御由緒
 有鹿神社(あるかじんじゃ) お有鹿様は、相模国で最古の歴史と高い社格を有する。

 創成
遥か遠い昔、相模大地は海底の隆起により出現する。有鹿谷(アルカヤト←縄文遺跡「勝坂有鹿谷遺跡」のある場所。神社奥宮もここに。) の泉を水源とし、これより流れ落ちる鳩川(有鹿河)の流域に人々は居住し、有鹿郷という楽園が形成された。縄文の頃より、有鹿の泉は水神信仰されて来たが、弥生の頃になり、農耕の発展に伴い、人々は、農耕の安全と豊穣を祈り、水引祭を起こし、有鹿大明神と称え、有鹿神社をご創建した。有鹿の奥宮、鳩川中流の座間の中宮、相模川に合流する地の 本宮である。

 発展
奈良平安の頃、相模国府は有鹿郷に所在し、有鹿神社は国司の崇敬を受け、相模国の延喜式内社中随一の社格を有した。 天智天王三年(664)、初めて祭礼を行い、天平勝宝六年(754)八年(756)、藤原廣政の社殿の修理と墾田五百町歩の寄進を受け、貞観十一年(869)、従五位上に昇階し、永徳元年(1381)、正一位の極位となる。広大な境内に美麗な社殿が建ち、条里制の海老名高地を領有し、また、明神大繩(参道)は、社人の住む社家を経て寒川に至り、一大繩は相模国分寺に至る。

 変動
やがて、国府も移転し、有鹿郷から海老名郷に地名も変わり、有鹿神社は、豪族の海老名氏の崇敬を受けるに至った。その後、室町の二度の大乱を蒙り、海老名氏は滅亡し(←永享十年(1438)頃)、美麗な社殿と広大な境内や社領も喪失した。
その結果、鳩川中流に鎮座した中宮も現在地(←海老名市上郷1-12「有鹿之池」) に遷座し、有鹿姫の伝説座間では、鈴鹿明神の創建の伝説となる)として残る。有鹿神社は、農耕を礎とした産業の発展を背景とし、水引祭の斎行により、海老名耕地の用水を守り、相模国五宮として人々の崇敬を集めた。

 現代
明治維新となり、県社に列せられたが、郷社に留まり、神饌幣帛料供進社となった。
第二次大戦後、宗教法人有鹿神社として神社本庁に属する。有鹿神社は、水引祭を通し、瑞々しい活力を与え、人々の生活の安全と繁栄を見守り続ける。神奈川のへそ 子育厄除大社として、海老名総鎮守、また、神奈川県の聖地である。

 本宮
大鳥居の跡地(鳥居田)から四百米参道を進むと、鐘楼跡の有鹿姫霊地の碑を片割れに、松無しの有鹿の森が茂る本宮が鎮座する。鳥居の右側に手水舎、左側に鐘楼と神楽殿、正面に本殿を覆う覆殿・幣殿・拝殿の三棟一宇の社殿がある。本殿の建築と拝殿の天井の龍絵は、海老名市の重要文化財の指定を受ける。社殿の左側に日枝社・稲荷社・諏訪社の三社、また、社務所側の東門近くに有鹿天神社が鎮座する。

 中宮・奥宮
東方四百米の地(←三王三柱神社・境内)に有鹿井(有鹿姫化粧井戸)、更に、二百米の地に有鹿池(有鹿明神影向(ヨウゴウ)池)があり、中宮が鎮座する。鳩川に沿って上流に進むと、相模原の磯部勝坂の有鹿谷には奥宮が鎮座し、その奥には有鹿の泉が今も湧き出している。 

↑文中に神社をさしている思われる「お有鹿様」という呼称はあるものの 祭神名の記載がありません。又「有鹿姫の伝説」「水引祭の斎行」も 具体的には書かれてていませんねー・・・。(地元では誰もが知る事で あえて書く必要が無い事、なんでしょうかー?)

ググったところ_
県神社庁の頁では_
祭神は 大日靈貴命 (オオヒルメムチノミコト←=天照大神)一柱のみが載っています・・・
が Wikiには主祭神として「有鹿比古命
有鹿比女命」の二柱の名も。(んー?/ 調べてみるとどうやら有鹿比古命 有鹿比女命 の地名が冠せられた神様は 正確にはこの社ではなく 中宮 に祀られている、ようですねー・・・)

水引祭については_
神社公式HP によると_
4月8日:水引祭(遷座祭)
6月14日:水引祭(還御祭)
↑二か月間 神様が海老名の本宮(←現在地)から 相模原の奥宮(←有鹿の元々の鎮まり処)に移られ 戻られる、という神事、だそうです。(二か月間 神様は奥宮に留まり続けるんでしょうか?)
↓尚、渡御ルートは ⇒ こちら_。
(↑スゴイ移動距離・・・。/ 今の神社の場所から 「勝坂遺跡(縄文遺跡)」の中の泉まで行く、というのはー この祭は もしかして古代にさかのぼる 古い古い物語 を伝えている?? )

有鹿姫の伝説については_
↓海老名市のHPの「海老名のむかしばなし 有鹿姫」がヒットしました。 / この話と 「鈴鹿明神の創建の伝説」に類似点か何かがあるのでしょうか? 有鹿神社について知るには 鈴鹿神社についても知る必要がありそうです・・・。


改めて_
社殿へ。


↓唐破風の上には三つ巴紋。(紋の由来は何でしょうね?)

↑破風の下には鳳凰と龍。

↓鈴の綱はからげられていました。


(↑扁額の文字は「有鹿大明神」。)

 > ご挨拶 <

社殿横に絵馬掛け。

絵馬は何種類もあるみたい。


社殿を西から見たところ。



神殿覆い屋の脇に祠がありました。

↑扉上には(左から)「諏訪社」「稲荷社」「日枝社」と書かれた札。
↓その奥には・・・ 引退した水盤、かな?

(↑その裏手は遊歩道、でしょうか? 時々自転車が颯爽と走っていきました。/ 川辺の道、歩いてみたかったのですが 残念ながらこの時は時間が・・・)

↓これは御神木。


↑幹に回された注連縄には「鹿子の木(カゴノキ)」と書かれた札も下がっていました。

境内には他に_



「有鹿天神社」がありました。


(↑何ゆえか 扉前に招き猫が^^)

こんなものも。



↑え~っ 昔は海老名と厚木の間に「有鹿 (あるか)ARUKA」駅があったのー?
いやいや これは「あるか」というツッコミのためのボードか^^;))) (私は本気で信じかけてました)

境内の掲示板。

厄年一覧は イイ として_
これは? パンダ柄?

え?宮司がパンダなの?で ネギが禰宜(ネギ)? 更にトラ宮司・・・

↓今年三月の記事。「最古の神社にパンダ宮司」。。。

他にも こんなお知らせがー




(↑ドラクエ風?)
どうやらこちらでは 神社に親しみをもってもらうための「キャラクター」として パンダ(←顔がが宮司に似ているらしい)が選ばれたもよう。又宮司さんや禰宜さんの肖像権保護のためという意味もあるようです。(HPに「神職の顔が写った写真はWebやブログやSNSへのアップロードはしないでください。神職の肖像権があります。/パンダの絵で顔を隠してのご利用は可です。」というメッセージがありました。)


_今回は ここまで、でおいとましました。

(↑社務所)
が いつか改めて 少し東にあるという中宮、相模原市勝坂遺跡の中の奥宮、 そして こちらと関連深いらしい 座間市の鈴鹿明神社~ をお訪ねしたいもの と思います。

おしまい。