岩村の城下町-5 木村邸あたり | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

引き続き城下町を歩いて参りましょう。


ここは岩村の「観光案内所」。

↑十六銀行岩村支店だった建屋、ですって。
中にはショップもありました。

吹き抜けになっていて 二階 に相当する高さに「回廊」が設けられるなど 「昔の銀行らしい」造りになってて、 建屋としても面白い。


さてその先にー


「木村邸」という 市の文化財指定を受けている場所がありました。

木村家というのは江戸中期から末期に栄えた問屋で、経済面だけではなく文化面でも 又 新田開発 災害時の救援など 多方面で藩を支えてきた~ そうです。

見学させてもらいましたが ここが又、見どころ多く面白かった。


建屋に入ってすぐ 右手の間は 館内MAPによると「みせ」。その奥は「でい」との事。

(昔は「客室」を「出居(デイ)」と言ったそうなので もしかしたらここも客のための空間だったのでしょうか?)

「でい」部分は展示スペースになっていました。

↑手前は 郷土の偉人 佐藤一斎の座像。
↓佐藤一斎は多くの人に影響を与えた幕末の思想家、だそう。


↓「でい」の窓には「武者窓」(←通りに張り出した部分)がついていました。

(木村家は商家ですが 元武家の出で名字帯刀を許されていた上 この館には藩主を迎える事があり その際には警護の侍が従ったそうですから、必要があって設置された窓なのでしょうね?)

入口の左手(東)は土間。ただし呼び方は「にわ」、との事。


「みせ」の南には「なかみせ」という間が続いていました。


(幕の奥が「なかみせ」)

「なかみせ」から「にわ」を挟んで壁で囲まれた小部屋がありましたが 昔はここが女中部屋だったそうです。
(↓この右手が 「かま」のある「かって」なので その脇に女中部屋が作られたのでしょう)

上がる事はできませんでしたが、館内MAPによると この 女中部屋入口脇の箱階段の上は「使用人部屋」だったそうです↓


「なかみせ」の障子の奥の間は 「ねどこ」と書かれており、

行ってみると・・・

(↑左は金庫。右上は 確認はできませんが位置的に神棚 かな?)

長持(ナガモチ)が置かれていました。(嫁入り道具、ですかね?)


その先は 南に「ざしき」、

北へ向かうとー 

殿様のための玄関、となっていました。



(↑ただし、今土塀となってる箇所にかつては薬医門があった、といいますからそちらが館への正式な入口だったはずで 江戸時代の殿様専用のお玄関は現況とは異なっていた かも。)

中庭を見ながら 南へ向かうとー・・・



_茶室。



(↑お軸の前に巴棚)

更に南へ向かうと(次の間、を越して)『老梅書院』の名を持つ 書院に出ました。



(↑この書院を「老梅書院」と名付けた八橋売茶翁の筆になる扁額、とか。)




(↑書院の壁には和紙が貼られています。説明書きによると 急に藩士が来邸すると連絡を受けた際でも 和紙なら一夜で貼り替えられるから~ だそうです。)

書院の南の縁側から 庭を見たところ_。

(↑見学できるのはここまで、でした・・・)

引き返します。


ここは「ねどこ」からの続きの プライベートな書院_「ざしき」。

藩主も来る事のある「老梅書院」と 「ざしき」とは、行き来できないように(?) 間は障子やふすまではなく「壁」になっていました。

↓「ざしき」前の庭も 「老梅書院」の前の庭とは 直接はつながっていませんでしたよ。


「だいどころ」に出ました。

「だいどころ」は囲炉裏のある部分。 土間部分は「かって」、だそう。

靴を履き 外へ出てみます。



土蔵がありました。


↓ここは「酒造蔵」があった場所のよう。


ん? 中は居住スペースに?

(↑昔から こんな造りだったのかしら?)
↓二階部分へ上がってみます。

あらー どなたかのコレクションの陳列室かしら? (アジア~ンな雰囲気です)





いやいや~ 面白い。

ありがとうございましたー。

引き続き城下町を お城の方へ~。





↑そうそう、この「塩並木」というお店の角を曲がるとー

奥に桜がどっさり咲いている場所がありました。

↑浄光寺というお寺、でした。

伺ってみます。 / つづく