江島神社-2 辺津宮(ヘツミヤ) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では田寸津比賣命(タギツヒメノミコト)を祀る辺津宮へ。

(↑「エスカー #1」で上がってきたところ)

池には龍が。


↓そばにあった説明板。

へー、江ノ島では 龍は「弁財天の夫神として 財宝福徳の神としても 信仰を集めています。」のですって。

手水舎にも龍。(これは 普通ですか^^;)


殿内では七五三でお参りに来たらしいご家族が御祈祷を受けていました。そして拝殿前にも行列が。

扁額。

よっく見ると縁に龍がー。

小壁には天女達の木彫。


申し訳なくも 並ぶ時間が惜しかったので隣の弁天堂へ。

しかし、あら。

国の重文の八臂弁財天像(←「藤原秀衡調伏祈願」のため頼朝が文覚に命じて勘定させたと伝わる) は 4月から修理の為 京都美術院国宝修理所に移されている、そうな。
_という訳で こちらも「又今度」に_。


↑お堂にいらっしゃるもう一体、は いわゆる「裸弁財天」。
(↓エスカー内のポスター)

鶴岡八幡の弁天様も彫刻としては 裸体 ですが あちらは上から衣を着せて御祀りしてます。が 江ノ島では 裸体 のまま御祀り してるんですねー。(神聖なる神々のお体は 人の手で織られた布などを纏わせる方が冒涜~ という古代ギリシャ的な価値観から?)

弁天堂の隣の社は_

八坂神社でした。

御祭神の建速須佐之男命(素戔嗚命≒牛頭天王)は江島神社の三女神の父神、という立ち位置。(天照大神との誓約(ウケイ)のおり この弟神が差し出した「十拳剣(トツカノツルギ)」から生まれたのが三女神ですものね?/絵の剣は という訳で十拳剣と思われます。尚 十拳の「拳(ツカ)」は古代の単位で 手を「グー」 にした状態_つまり こぶし十個分の長さ、ですって。)

↓八坂神社のお祭りは「藤沢市指定重要無形文化財」になってるそうです。


八坂神社の隣には「むすび絵馬」なるものがー。

これはその先のご神木の大銀杏(二股になった いわゆる相生・相老の樹)に 良縁成就を願って結ぶ絵馬。



(枯れて尚 人の願いを託されるご神木さん、お疲れ様 ありがとう。)

さて、八坂神社の隣には 稲荷社と秋葉社が合わせて祀られておりー

その隣は 不思議な更地_

(サイズ的には 子供相撲の奉納場所のように見えます、が、三重塔跡地 かも?)
で その向こうに・・・

「宋国伝来の古碑」なる物がー。

(↑「江島縁起によれば、元久元年(1204年)に渡った源実朝の使節良真が、慶仁禅師より、江の島に因んで授けられたと伝えられ、碑面の四辺を細線で刻画し、上方に左右から双龍形を陽刻し、大日本国江島霊迹建寺之記と篆書されていますが、碑名は磨滅して読むことができません。 このため、元禄14年(1701年)に杉山検校の門弟、島岡検校が雨よけを寄進しました。」)
・・・んー?

↑あぁ・・・ うーっすら 何かが 彫られていた事が 認められる・・・  / 「雨よけ」が寄進された江戸時代には まだ字が読めたのかしら?。

~と、こんなあれこれが建つのが「辺津宮」境内 でした。

(↑振り返って社殿の方を見たところ)

続いては 中津宮(ナカツミヤ) へ行ってみます。




つ づ く