伊豆山神社前から走り湯神社へ下る | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

という訳で、
引き続き 伊豆山(イズサン)神社から 伊豆の地名(湯出づ)のおこり と言われる「走り湯」、へ下りて参ります。


市道を渡った所に_

「旧善満坊」と彫られた石柱が立っていました。

神仏混交時代には ここには伊豆権現を支えた別当の その又下の子院などが沢山並んでいたのでしょうか。

道を挟んだ隣の「仲道公民館」の壁に貼られていたパネル。

すごく勉強になるー。

(↑鎌倉時代に将軍家の庇護を受けた伊豆権現。最盛期には64もの僧坊・修験坊があり3800名もの僧兵が伊豆権現を守っていたんだとか。/ 戦国時代には小田原北条方についたため秀吉に攻められ 全山焼き討ち にあいます。が、その後 家康によって復興なったー。んですね?)

(↑江戸時代の参道の地図には善満坊~ など12の僧坊が描かれています。)

階段を下りましょう。






↓ちょっと 目に力のある猫がいた。


少し行くと_

それまでつんでいた建屋の並びに ふ と間があき、そこから淡い色の海が見えました。


↓「段差あり」というプレートのついたスチールアーチがあった。

いや ここまで沢山段差があったんだけどねー なんて思いましたが、

そうですか ここは 本殿から 下り491段目、浜から上り 346段目、ですかー。

「段差あり」を過ぎると 下に国道が見えてきました。

(↑右上の赤い屋根が ホテル「水葉亭」。)

話は繋がりませんが_

この辺は 猫が多かった。



で この猫は 私達が通り過ぎると_ すく っと身をおこし~

ついてきたー・・・

「待て オヌシらに言っておくことがある」

_とでも言うのかと思ったけど_

↑知ってるオカアサンの方へ行ったダケ・・・ でした。

国道を渡ります。

振り返ると~。

↑へー こんな看板が出てたんだ。(この国道はよく通るのに これまで全く気づきませんでしたー)

更に海の方へ。

階段途中に「走り湯 浜浴場」って共同浴場がありました。

(↑今地元の~と思われる ひきしまった体のお姉さんが湯籠もって出ていかれましたよー。)
↓料金は 組合員150円、準組合員250円、一般350円、ですって。(伊豆山地域の人は「準組合員」という扱いのようー)

↓「走湯(ハシリユ)」の説明。(文武天皇の三年(699年)に役行者によって発見された霊泉~ の歴史と効能が書かれています。)


道なりに。

(↓何が何だかな配管。 もしかしてこのエリアではこうやって温泉が各家にー? マサカ^^;)


右奥に ホテル「水葉亭」。(水葉亭さんの赤い屋根は目立つので よいランドマークになりますね?)

又石段が始まった。



↑下り切ったところの分かれ道_ 右側にハナアオイが一叢咲いていました~。でも私達は 左_走り湯の方へ。

海が近づいてきた。


(↑階段を上がってくる人が見え、 すぐそこ に見える海辺まで下りるのはそんなに簡単じゃない、と気づかされましたー)

あら、足湯 が作られてます。

(確か以前来た時は無かったと思うのですがー)

階段を下りて行くと 崖っぷちに赤い鳥居が見えてきました。


↓左_走湯(ハシリユ)神社、中央奥_走り湯、右_足湯。


ではまず神社へ。

りん とした小社。

紙垂(シデ)がまだ新しい。

改めて「走湯(ハシリユ/ソウトウ)神社」は_ 
伊豆山神社の 境外摂社で、 伊豆山神社の神の神威の源である「走り湯」(←社のすぐ下) の源泉を守護している~ そうです。

(↑額の揮毫は三嶋大社の宮司さんですねー)

すぐ目の前の浜は「伊豆山浜」。昔はこの 浜 から、 走り湯 - 本殿 - 本宮 と上ってお参りしていたそうです。(今も観光ガイドブックなどには このルートで参拝してこそ御利益が~ などと載っています^^)

浜から~ というルートは年寄には辛いので 今回私達は「下り」だけ 正規参詣路を歩いた訳ですが とりあえず「風情」は味わえた、かな?


_ ってまだ「走り湯」を見てませんね。(昔 一度来てますけど)

では 次の項に走り湯、を載せましょう。/ つづく