阿倍王子神社(旧「阿倍王子」) | (又)おだわらぐらし はじめました

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「新しい日常」を綴って参ります

安倍晴明神社(アベノセイメイジンジャ)に続いては その本社という阿倍王子神社(アベオウジジンジャ)へ行ってみました。(距離的にはほんの80m程南~)

神社の鳥居の脇に 説明板が立ってましたよ。

「もと熊野街道」_ 神社前の道は旧・熊野街道なんですね? 昔_熊野詣でが盛んだった時代には 街道沿いに99の分霊社:「九十九(クジュウク)王子」があり、熊野の本宮までの 道しるべ兼守りとなっていたといいます。 
で、これからお参りする「阿部王子神社」は大阪府内で唯一残った「王子」:旧「阿倍王子(アベノオウジ/阿倍野王子とも)」、なのですって。

参道を行くと_


手水舎がありました。

周囲には注連縄を巻かれた大木。

一本一本が神名を持っている事が 尊く思われました。




阿倍王子神社


↓説明板/ 「御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・素戔嗚尊・品陀別尊の四柱。『阿倍王子権現縁起』によれば仁徳天皇のご創建と、又一説には往古この地を本拠とした阿倍氏の創建ともいわれている」そうです。

(↑「九十九王子の第二王子社」との事ですが、これは南北朝時代に途中の王子社が失われたためで Wikiの「九十九王子」 によると 古くは「五番目」だったようですね? )

稲荷社_「葛ノ葉(クズノハ)稲荷大明神」。(先程伺った安倍晴明神社の稲荷社は 清明のお父さんの名が冠された「泰名(ヤスナ)稲荷神社」でしたが、こちらのはお母さんの名前が冠された稲荷社ー)

その隣には御烏(ミカラス)社という八咫烏(ヤタガラス)を祀る小さな祠が。(Wikiによると_「 『摂州東成郡阿倍権現縁記』によれば、仁徳天皇の夢の中に熊野三山の使いである3つの足の烏が現れ、仁徳天皇がそれを捜させると、同じものが当地(阿倍島という島があったとされる)にいたので、現所在地に神社を創建した。」のだそうです。 へ~っ するとこの小社こそがこの神社のそもそも、でしょうか? // ただし、八咫烏が「三本足」として描かれるのは平安中期に書かれた辞書『倭名類聚抄』が最初で 奈良時代に書かれた「記紀」にはそんな表現は出てこない、といいますから 仁徳天皇の時代(4世紀末~5世紀初頭?)に「3つの足の烏」~というのはちょっと 微妙 とも・・・)

末社

扁額には 「天照大神・豊受大神・住吉大神・春日大神・金刀比羅大神・恵比須大神・天満大神・高良大神・由賀大神」九柱の御神名。

こちらの小社には 高龗神・罔象女神・闇龗神_水の神様達が祀られているよう。


む~ん 思った以上に由緒ある「濃い」お参り処でした。


帰りは 電車を_


「阿倍野」で降り、

「あべのベルタ」の地下から地下鉄に乗って梅田へ戻りました。(天王寺から乗るより座りやすいかと思ってー。座れませんでしたけど^^;)



街中で沢山の「古代史のかけら」に出会えた 豊かな一日でしたー。/ おしまい。