安満宮山(アマ ミヤヤマ)古墳 (青龍三年の丘) | (又)おだわらぐらし はじめました

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古墳って平地に築かれた塚が多いですよね、でも安満宮山古墳は違いました。高槻の街を見下ろす 市の霊園になっている山(安満山)の中腹にあるんです。

という訳で 安満遺跡公園でお昼を食べた後は 1キロ半程の場所にある「高槻市立公園墓地」を目指しました。

車のナビには載ってなかったのですが 時々携帯MAPを見ながらなんとか「古墳」へたどり着きましたよ。

↓入口脇にあった「リーフレット」が入ったポスト型のボックス。


(あまざらしで傷んでるかな?と思いましたが ザラつきもなく 紙質もしっかりしていて 安心して手にとれるリーフレットでした。)

(↓帰ってから撮ったもの / 内容も濃かった!)



さて、この山の中腹の墓所に葬られていた被葬者が誰なのか はわかっていませんが、麓の磐手杜(イワテモリ)神社の神域とされてきた事、 銅鏡が5面 ガラス製ビーズの装飾品 刀や斧等の鉄製品が副葬品として出土しており「並々ならぬ人物」であったらしい事がわかります。

↑手前にオブジェ? かと思ったらー
↓出土した銅鏡のレプリカでした。

↓3号鏡。神と思しき「人型」と 龍の様な「獣型」が並ぶ 迫力あるデザインの「三角縁神獣鏡」。

↓考古学的に重要な年号入りの2号鏡。

↑右に「青龍三年」と彫られています。(今とは異なる漢字が使われていてわかりにくいのですが)/青龍は魏の年号で 青龍三年は西暦235年。 魏志倭人伝には 239年6月に邪馬台国を出発した倭国の一行が 12月 洛陽に到着し、「親魏倭王」の印と 銅鏡100枚を授けられた_と載っています。という訳で 出土した鏡は 卑弥呼が受け取った鏡かも? なんですって。

これは結構大変な事らしく、墳墓のあるこの場所は「青龍三年の丘」とも呼ばれている模様。(グーグルMAPにもこの呼称が使われています)

ガラスの覆いが付けられた墓坑。

残念ながら中央付近は水滴と反射で中をよく見る事ができませんでしたがー 出土品のレプリカが 発掘当時のように 散らばった感じで置かれていました。

墓坑の造りは わかりましたよ?

(↑周囲に排水溝が巡らされ 中には木棺があったそうです。)

墓坑の向こうにあった説明板。

(↑「卑弥呼の使いとして魏へ行った人が 帰国後 褒美に女王から魏に贈られた銅鏡を貰った。使者の死後 鏡は副葬品として一緒に墓に納められた~」 というお話。邪馬台国畿内説で書かれていますね?とそれはともかくパネルを貼る順番がちょっと違うようなー・・・)

↓丘からの眺め。

わー ハルカス(左のノッポビル)が見えるー。

素晴らしい景色。墓所として理想的な場所ですね? (という訳で ここが市の墓地である事に 納得)

さて 戻りましょうか。


なかなか見応えある古墳でした。車が置きやすいところもありがたかった。


<+>
帰って記事打ちながら地図を見てて・・・
公園墓地内には他にも保存されている古墳があったと知り「がくり」」」
よく調べてから出かけなきゃ^^;)(反省)