今城塚(イマシロヅカ)古墳 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

昨日は高槻市の今城塚古墳へ行ってみました。

まず車を置くため サニーサイド(Cafe 併設のパン屋さん)高槻岡本(タカツキ・オカモト)店へ。

行ってから知ったのですが ここ、平日は駐車料金無料 なんですねー。
パン買って60分無料+ カフェ利用して60分無料 計120分無料権(?)をもらうつもりでしたが、

そういういう訳で カフェを利用しただけで_

(↑クイニーアマンとコーヒーを頂きました)
(↓昼前の中途半端な時間、 カフェの利用者は私だけでした・・・)


_お店の南側の古墳へ 散策へ出かけさせてもらいました~ (すみませーん)


さて、今城塚古墳というのは~

大きな古墳なんです。
が、少し西にもっと大きな古墳があり、 これが明治時代に「継体天皇の三島藍野陵(ミシマノアイノミササギ)」に治定され、宮内省管轄に。 で今城塚古墳は 非宮家の古墳とされます。
ところがその後 年代的な問題から (三島藍野陵は継体天皇が生きた時代より100年程古いとわかって) 現在では「今城塚古墳が継体天皇陵では?」と考えられるようにー。

という訳で 「多分 継体天皇陵」の今城塚古墳は 発掘調査が行われた上 開放されて 現在は散策もできる公園になってる、んですね。(一種ありがたい状態)


↓前方後円墳の 前方、の環濠(空堀)の角。

外の堤の上を「後円」方向へ歩いていきます。

おや?あれは? 埴輪?

(後で知りましたが これは観光客の為の展示ではなく、本当にこの場所にテラスが作られ埴輪が並べられていたのだそうです。因みにここにあるのはレプリカ。本物は後で行った 少し東の「高槻市立今城塚古代歴史館 いましろ大王の杜」にありました。)

内の堤へ上がると_

埴輪を間近に見る事ができました。

面白い、埴輪がパレードしてるみたい。

まるで「公園遊具」のような、「乗れそう」な埴輪達。

(↑水鳥↓軍馬)

↓刀を抜こうとしているかのようなポーズの武人。

↓小鳥を手にとまらせ微笑む可愛い少女・・・のように見えるけど 鷹匠。

↓バックスタイル。

↓一目でそうとわかる力士達。

いい体してますね?


入れるのはここまででした。

↓ギザギザの塀 盾と靱(ユキ/矢を入れる物)で守れらたエリアでは~

↓巫女達が祈り 舞い 供物を捧げていました。

↓あ、布をワンショルダーにして纏ってますね?(袈裟みたい)

(↑左奥の座っている人達は楽人だったかも~ ですって ←これも後で行った「古代歴史館」のガイドさんから教わった事ですが)

家形埴輪も沢山。

ここには牛 もいました。(牛の埴輪って出土数少ないんですって)

一番後ろのエリア。
柱の様に見えるのは「大太刀」と考えられているそう。

そうそう、これは何でしょうね?(五徳みたいに見えるけど それはありえないー)

ネットで調べたら(ガイドさんに尋ねそこねちゃって) 「蓋形(キヌガサガタ)埴輪」とわかりました。/ 布(キヌ)の傘は 棒の先につけて 貴人にさしかけたり 貴人のいる家の前に立てて 「ここに貴人さんがいますよ」と知らせたりしていたようです。 という訳で 古墳の蓋形埴輪は「ここに貴人さんが眠っています」と知らせるものであったかもしれない、んですって。(へー)

内堀の方へ行ってみます。

元々は水が張られていたようですがー

今は後円部分は空堀になっており、前方部分のみ 水が入っていました。

後円の上に上がります。

戦国時代 ここには今城(イマジョウ)というお城(砦?) があったそうです。(織田が三好を攻める時に用いられた~らしい)

上がってみるとー

きゃー 蚊が一杯ー

わーん

とりあえず 目に入った説明板の写真だけ撮ってー



急いで下りました。








車を置かせてもらっているサニーサイドさんが見えてきた。

これで 一周できた訳ね?

この後は今城塚古代歴史館へ行き、

今城塚古墳の構造について教わったり 本物の出土品を鑑賞したりし~

見落とし、に気づいて 帰りにもう一度古墳へ寄りました。


↑見落としたもの、というのは見学者用テラス、
↓からの眺め。



このテラスは 「外の堤」部分に作られているんですね。(距離は元の外の堤の位置より倍近く離れているのですが 高さはちょっと盛ってます) / 古墳が作られた当時、の人達は こんな感じに 空堀越に 正面の 埴輪達 を見たのではありますまいか。

↓テラスに設置された 説明板。



テラスから見た 空堀跡 の古墳の模型。

↓このエリアの古墳MAP。

↓テラス一階の壁・・・だったかな に貼られていたパネル。


正確な被葬者はわかっていませんが、沢山の埴輪が飾られた古墳の中の はるばる九州から運ばせた石で作られた石棺に眠っていたのは 「大王」クラスの人だったに違いありませんね。 / と そんな古墳を実際に歩け、大変面白かったです。

この後は 近くの阿久刀(アクト)神社へ行ってみましたよ? / つづくー