野見(ノミ)神社 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

カトリック高槻教会の南には
高槻現代劇場」がありました。

(現代劇場 というのは複数の文化施設の総称のようですね?↓とりあえずこの 道路に面して建つのは「文化ホール」との事)



そして更にその南に_
今回の「高槻散策」の目的地の一つ 「野見(ノミ)神社」が。

先日行った上宮天満宮(ジョウグウテンマングウ)境内社の「野(ノミ)神社」と ご祭神が同じなので興味を持ちましてー。

(後でわかるのですが、 こちらは裏門でしたー)


おや、「小島神社御造営 ご寄進のお願い」という看板が出ています。

去年立て続けに起こった地震と台風の被害で大正時代の社を建て替える事になった~んですね。来年秋着工予定、か。

境内に入ると、樹木の剪定が行われていました。

おー何だか冬毛を刈られる羊のようなー。

あ、ここが(来年から建て替え工事が始まるという)小島神社 かー。

写真ではよくわかりませんが、その名の通り 石橋を渡った先の「小島」に社が建っています。

素朴ながら味わいのある社で、建て替えられるのがなんだか勿体ないように思われました。
(植木屋さんがいたので恥ずかしくて 撮った写真はこれだけー。あ、社にはちゃんと渡ってご挨拶してますよ?ご安心下さい。)

その先には「永井先公遺愛碑」なる物が。

一瞬 「ああっ先生の事 そんな風に呼んじゃいけないっ」 って思いましたが 先公は先代のお殿様 の意味でしたか? (神社の公式HPで知りましたが、これは明治21年に 旧藩士+領民達が  その当時は「直清(ナオキヨ)権現」と呼ばれていた「(現)永井神社」に祀られている永井直清(1649年に長岡から高槻に加増移封された 永井家としての初代藩主)の遺徳を偲んで立てた物、でした。)

おや 立派な門が並んでる。奥の門には唐破風が載っていますよ?

あら、閂(カンヌキ)が・・・。つまり こっちは裏、ね?

いや 裏も美しいけれど。

このフクブクしい虎とかも ちょっとポップでいいわー。

表へ回ります。

鳥居の扁額。「永井神社」。

唐門。/(裏は虎でしたが)表は龍だ。

門には華やかな唐草の透かし彫り そこに家紋の鉄線(クレマチス)。沢山の金具が打たれ華やかさとともに力強さも感じられますね。

手水舎の手水鉢にも鉄線。

説明板。「永井神社」

 「永井神社は、高槻城三の丸の一角に所在する野見神社の摂社で、江戸時代中期の寛政5年(1793)、9代目藩主永井直進(ナオノブ)が、初代藩主の直清(ナオキヨ)を祭神として勧請し創建した。その後、嘉永元年(1848)に、11代目永井直輝(ナオテル)が直清の 高槻城入城200年を記念して社殿を修復、新たに唐門と拝所を造立した。(後略)」
 
へー単に「永井家の祖先」を神祀りしたのではなく
初代・直清 を祀ってるんですかー。
(創建当初は「直清神社」、江戸末期には「直清権現」、と 呼ばれていたそうな。)

Wikiで永井直清の項を読んだら・・・
初代・直清という人は孫を二代目にしている。が、その二代目には跡を継ぐ子供がおらず、三代目には「初代の甥の息子」がなっているんですね。
もしかして直系ではない者達が藩主の座についている事に 三代目以降のお殿様達 申し訳ない思いを持っていた、のかなー?

とそれはともかく、
こちらが社殿。

頂点に家紋の鉄線が飾られた唐破風の下には 鳳凰、牡丹に獅子、果物も見えますね?(橘かな?)


そんな社をがっしりした体つきの狛犬達が守っていました。





さてでは野見神社へ。

(↑手水舎横にあった由緒書)
詳しくは神社の公式HPをご覧頂きたいと思いますが_

ざっと記すと、
 平安中期に建てられた「牛頭天王社」が始まり、という神社。 後に高槻城が築かれると城内の鎮守社となる。
 ところがキリシタン大名高山右近が領主となると取り壊されてしまう。この時 牛頭天王社のご神体は神職によって 石清水八幡宮に移されたという。
 江戸時代_城主となった松平家信が牛頭天王社を新造。 十数年後 永井直清も社殿を修築。
 明治に入ると 神仏分離令により牛頭天王を須佐之男命(スサノオノミコト)と名を変え、更に野見宿祢(ノミノスクネ / 垂仁天皇に領地をもらって入植した出雲系~ という伝承をもつ人。) を合祀。社号も「野見神社」とした。
_だそうです。  
 1キロ半程北の 上宮天満宮にも祀られているノミノスクネさん、この辺りでは人気なのね?(という事なのでしょうか?)

又、 淀川の対岸の枚方市牧野の方坐(カタノ)神社に 「入植者:野見宿祢が故郷出雲からお連れした」という素戔嗚命(スサノオノミコト)と 野見宿祢の子孫:菅原道真が祀られています。 / 左岸と右岸に分かれた出雲からの入植者達の間には 行き来とか あったのかなー?知りたいなあ。

+牛頭天王とスサノオの習合には 朝鮮半島や蘇民将来説話と関係があるかも~ とWikiで読み「へ~」。(色んな話をいっぺんに読んで今ちょっと私 混乱中)

社殿。

拝殿正面の蟇股には八坂神社と同じ「五瓜に唐花」の神紋が。

(八坂さんも牛頭天王を祀る神社ですからねー)

狛犬達。


(↑ちょっと ひょうげてます?)


境内の西には末社が並んでいました。

(↑左・高槻戎神社 右は能舞台)
(↓護国神社。 奥は待合所、ですって)

境内の北には 四社明神。


↑祖霊神社、磐神社、稲荷神社、福神社、の四社が一つ屋根にてお祀りされてました。

四社明神前から東を見ると 野見神社の神殿部。

西を見ると 蔵。


蔵の脇から退出しようとしたら_
こんな看板が目に入りました。

「やむを得ず境内を通り抜ける場合は
ご神前に一礼してお進みください。
 自転車は下りてお進みください。」

ちょっと 背中が のびましたです。

この後は「しろあと歴史館」へ行ってみました。/ つづく。