旧・厳島神社別当寺:大聖院(ダイショウイン) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

宮島 というとその名から 神社の島 というイメージを持っていましたが 行ってみると お寺や仏堂 仏塔も沢山ありました。 (ただし 仏堂・仏塔として建てられた物が 明治の神仏分離令で神社に属するようになった~ という例も多く、調べれば調べる程混乱しもしたのですがー)))


ではまず 厳島神社の別当寺として社僧を統括していた大聖院(ダイショウイン) へ行ってみましょう。

↑岩惣前から↓御手洗川を渡ってー、


道なりに進みます。




途中素晴らしい造りの社家もありましたがー

平日は公開されてませんでしたー。(事前予約がとれてればOK らしいのですが)


近づくにつれ 山腹に見えていたお寺の屋根が見えなくなってき 微妙な分かれ道が幾筋も現れ・・・



でも、あの仁王門が正解のルートのはず。


↓川下 (流れているのは「白糸川」、ですって)

↓川上。(上流に「白糸の滝」って滝が。更に登れば弥山山頂。/ そうそう、三鬼堂や霊火堂など 弥山に点在するお堂もここ大聖院に属しているそうです。)


仁王門に着きました。

門の手前に手水場。


門を守っているのは いい体をした仁王さん達です。


門の上には「明るい社会は 合掌から」というキャッチコピー(?)が書かれたプレート。

由緒書。


門の先の石段を上ります。



左手側を見下ろすと_

青葉紅葉の中の小路の脇に カラフルな帽子をかぶったお地蔵さん達(?)が見えました。(帰りに寄ってみようー)

↓このお堂(霊寶館)の横から 下に下りられるよう。覚えておきましょう。


左手に現れた鐘撞堂_ そのそばに・・・

なぜか・・・ 河童!

(そ それとも よく河童に間違えられるという深沙大将(ジンジャダイショウ)な のか)))

石段を上がったところに改めての門:御成門。/ 柱には「弥山本坊大聖院」「真言宗御室派」と書かれた札が下がっています。

門の下には「心にひかりを くらしに愛を」と記されたプレート。

仁王門に掲げられていたプレートもそうでしたが、厳格な漢語や仏教用語ではない「日常の言葉」でのアプローチが多いみたいですね。

この後も 本堂の縁に置かれた_

↓木魚のようなだるまさんや

↓袈裟に身を包んだ狸

その他、上手く撮れてませんが「天使ミカエル像」などに

(↑奥のお堂は「勅願堂」
驚かされたり和まされたりしました・・・。

と それはともかく、境内、思いのほかに広かった。高低差もあって 結構「歩きました」ですよ。


(↑上に見えるのは「摩尼(マニ)殿」

↓勅願堂。

↓勅願堂の横を通って 上へ上がりましょう。


(↑小堂の扁額には「施無畏(セムイ)」(←観音菩薩の異称)と書かれています。観音様が祀られているのでしょう)

涅槃像前を通り_

石段を上がります。

七福神が祀られた八角堂があった。

その先に 遍照窟(ヘンジョウクツ)。ここは四国八十八ケ所の本尊と御砂が納められた道場 との事。

その上は大師堂でした。



大師堂前から見た境内。

さ、左に見える摩尼殿まで あとちょっと。

天狗の守る石段を上ります。


ここは 三鬼大権現(=時眉鬼神・追帳鬼神・魔羅鬼神 = 大日如来・虚空蔵菩薩・不動明王)を祀るお堂。(弥山の「三鬼堂」と一緒ですね?)

読経が始まり、お邪魔かと思い 中に入るのは遠慮しました。



帰りしなは_

霊寶館横から 下の小路へ下りました。


ああ、これは お地蔵さんではなく羅漢さんのようですね?


一種 インスタ映え~ なスポットかも。

遅いけど_
下から撮るべきでしたね^^;)

石段を下りきったところに「五百羅漢 配置図」がありましたー。。。

そして 橋の手前で_

境内図を見つけました^^;)


色んな意味で 色々詰まった お寺、でしたねー。(テーマパーク的というかー)

続いては「多宝塔」を見に行きましょう。