高山散策-2(飛騨国分寺) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

旅行三日目は 市内の歴史的・伝統的な建造物を見て回りました。

二泊目+三泊目 お世話になった「ひだホテルプラザ」さんから散策開始~。

まず向かったのは国分寺。
(ホテルからも見えていたお寺です↓)

国分寺というのは天平13年(741年)に聖武天皇の詔勅で全国に作られたお寺。飛騨には天平18年に建てられています。/ 境内に創建当時の塔の中心礎石、現本堂床下には旧金堂礎石群が残存~といいますから 1300年近くこの地に建ち続けているお寺なんですねー。

すぐ着いた。

三重塔。


江戸時代に再建された物、とか。

重要文化財に指定されています。

(何度も建て替えられ 屋根も杮葺→桟瓦銅板葺→銅平板葺と変わってきているんだー。//にしても、 天平時代に建てられた初代の塔を見た人々はさぞ驚いた事だろうなあ~)

塔と並んでランドマークになっている銀杏。

(樹齢1250年以上と言われる大木。高山の人々はこの銀杏が葉を落とすと「そろそろ雪が降る」と思うそうな~)

その横に鐘楼。


本堂。

現在は高野山真言宗の寺院で山号は「医王山」本尊は薬師如来坐像だそう。


お堂入口上の額も「医王殿」。(薬師如来がいらっしゃるお堂 の意味ですね?)

中は拝見できませんでしたが 入口の横に仏像の写真が貼られて(ピンどめされて)いました。


ありがとうございました。


この後は 街中へー。

まずは朝市に行ってみましょう~♪


<自分のための備忘録>
飛騨の国分寺は天平18年に建立なっていますが、これは実はなかなか立派な事のようです。Wikiに 「国司の怠慢のために、多くの国分寺の造営は滞った。 天平19年(747年)11月の「国分寺造営督促の詔」により、造営体制を国司から郡司層に移行させるとともに、完成させたら郡司の世襲を認めるなどの恩典を示した。これにより、ほとんどの国分寺で本格的造営が始まった」 って載ってますからね~。

<自分のための備忘録2>
国分寺を統べる「総国分寺」は奈良の東大寺ですが、 天平13年に国分寺建立の詔が発せられた時はまだ東大寺ではなく その前身の金鐘寺で、翌14年に金鐘寺は金光明寺と名を改めて 国分寺 となっています。そして大仏の鋳造が始まった天平19年頃から お馴染みの「東大寺」という寺名が使われるようになってくる~ そうです。