いや、ゆかぴょんも正直そう思いますわ。
建武の新政のグダグダで大混乱、一度は九州に落ちのびた足利尊氏が再起して上洛を目指す。
関東が拠点の足利尊氏が身一つで九州に落ちて再起できたのは何でですかね?と考えれば、理と利がどちらにあるかは明らか。
それでも戦うというのなら…と作戦提案すれば、坊門清忠のような茶坊主が口出しして否認。
ゆかぴょんなら「ああ、そうかい。そんなら偉そうな口叩くおんどれらで何とかせいや!」とブチ切れて辞めてしまうでしょうな。
まあ、こういうところがゆかぴょんも現代っ子。右翼ではなく、ネトウヨなのでしょう。
時代背景や当時の人の信条(心情)の理解が浅く、大義よりも己の正邪・好悪を優先する。
自分の決断が一族郎党の運命を左右する重さ、というのが今いちピンと来ない、というか、核家族なんでせいぜい認識が親兄弟までの範囲なんですよね。
「私はこれで会社を辞めました」には全く後悔していない、というか、珍しくいい判断をしたなと今でも思っているのですが、昭和以前だとありえん判断なのかな、とも思います。
終身雇用と年功賃金は高度成長期に咲いた仇花。
既に御恩と奉公の関係が崩れているのに、それが前提の会社経営、人事制度。
そういう時代には「悪党」にならねばならぬ。
生涯賃金分ぐらいは投資で稼いで左団扇のデカダンス生活をしたいものだなあ、と思うゆかぴょんなのであった。ちゃんちゃん。
【追記】
中国人の大なる欲望の一つに「歴史に名を残す」というものがあるそうです。
それはもう、「名声が無理なら、悪名でも構わない」、「歴史に名を残せるなら命もいらぬ」というレベルであるらしいですね。
そして、【忠義】を捧げる主君が暗君であればあるほど、より純粋で価値がある…とする考え方もあるのだとか。
「諸葛孔明の出師の表を読みて涙を堕さざれば、その人、必ず不忠」も、劉禅が無能な暗君だからこそより輝くのだ…ということだったのですね。
むむむ…。
であるのならば、今川氏真、織田信孝・信雄、加藤忠広(加藤清正息子)、加藤明成(加藤嘉明息子)には何故、忠義の士が現れなかったのだろう?
なんで、なんで、なんでなんだろぉーと疑問に思うゆかぴょんなのであった。ちゃんちゃん。