「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由――内田樹の緊急提言 に続いての内田クンのコロナ評論。
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コロナウィルスのパンデミックも別に前代未聞の大事件であるわけではありません。たしかにウィルスそのものはそのつど「未知」ですけれど、「未知のウィルスにどう対処するか」という手順は「既知」です。やることは決まっています。感染症対策のセンターを設置して、そこに情報と権限を集中すること、医療資源を備蓄すること、十分な予算をつけて感染症の臨床と基礎研究の専門家を育てておくこと・・・それくらいでしょう。別に奇跡的な予見能力や超人的な医療技術を求めているわけではありません。ごく散文的でリアルな「準備」をしておくべきだということです。
実際に、韓国や台湾やニュージーランドはかねて用意のマニュアル通りに行動して、感染を早期に抑制しました。しかし、アメリカやヨーロッパや日本はそれができなかった。マスクがない、防護服がない、人工呼吸器がない・・・というような物量的な原因でいくつかの国で医療崩壊ないしはそれに近い事態が発生しました。それはウィルスの力が強かったからではなく、危機対応能力が弱かったからです。
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ハイ、ダウトォォォ!
前回の『「無策な安倍政権」をいまだに支持し続ける人がいる理由』では、 "アジアでは、今のところ台湾、韓国、中国が感染拡大を阻止することに成功しているらしい" と言っていたのに、中国OUT、ニュージーランドIN。何でかなw
NZの人口はわずか480万人、日本と比較するには不適当でしょう。
中国の死者数の推移は
2月1日 304人
2月29日 3,300人(この時点でアクティブな感染者数35,129人)
3月31日 3,312人
4月30日 4,633人(4/17に漏れを一括計上、+1290)
米国
3月1日 1人
3月31日 5,151人
4月30日 63,856人
イタリア
3月1日 41人
3月31日 12,428人
4月30日 27,967人
常識的に考えて、画期的な新薬・ワクチンを大量製造できて配布といったありえないことがない限り、アクティブな感染者が3万人以上いればなだらかに死者数が増えていくはず。
「3月にはコロナは収束する」と習近平が宣言し、3/10に武漢入りして収束宣言することを決めたから、以降感染者も死者も基本発生していないと発表しているだけでしょう。
もしも、後でバレても「…らしい」と言っておけば、「支那がそう発表していたものですから、気が付きませんでした、テヘペロ」という無責任な(支那公式発表はそうでしたという)事実引用で誤魔化せるという計算が見える嫌らしさ。
武漢の実態を告発した医療関係者、武漢入りしたジャーナリスト、ユーチューバーが行方不明になっていること、1-3月の中国のスマホ解約数が2000万件を超えている事実、台湾に何度も10万単位の死体袋を発注している事実はガン無視。
ゆかぴょんは、感染者数・死者数とも桁が2つは違うと思いますけどね。
日本のマスク不足、防護服不足は危機対応力が弱かったからですか?
東京都が災害対応用に備蓄していた防護服10万着、兵庫県がマスク100万枚、など自治体が備蓄のほとんどを中国に寄付したからではないですか?
いずれに日本でも流行する可能性が高いことは予測できたはずなのに、この件についてはマスゴミも内田クンもダンマリ。
ホント、卑怯な態度ですなw
中国が事態を隠蔽し、WHOに圧力をかけて非常事態宣言を遅らせているうちに、在外中国人に支持して世界中でマスクや医療品を買い占めて中国に送らせたこともガン無視。
そこをスルーして、危機対応力が弱かったとは酷い言い草ですね。
まあ、ある意味、ロクでもない隣人が非常時にエゴイスティックな行為をすることを想定していないことは危機対応力が低いと言えるのでしょうが、それならそうとはっきり言うべきでしょう。
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危機対応としては、国民に真実を教えず、強権的に統制する方法と、国民に真実を伝えて、その自発的な協力を求める方法の二つの選択肢があります。どちらが成功するかはわかりません。短期的には中国のような中央集権的な手法が功を奏するかも知れませんが、長期的に見たときには、強権に唯々諾々と従うだけで、自分ではものを考えない、判断もしないというような幼児的な国民を創り出す国よりも、国民ひとりひとりに、自己判断で適切にふるまうことができるような市民的成熟を求める国の方が「復元力(レジリエンス)」においてまさっている。
「復元力」というのは失敗から立ち直る力、間違った政策をすみやかに補正できる力、ぎりぎりで危機を回避できる力のことです。それが真の国力だと思います。
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内田クンの嫌らしいところは正論&美文調で何も考えずに読んでいけば(ふーむ、ふむふむ、なるほどその通り!)となり、なんとなく自分が賢くなったような気がするところ。
前回、内田クンは「中韓に学べ、パンデミックにカンニングはありだ」と主張してましたよね?
だったら、中韓がどうやってパンデミックを防いだのか、具体的内容を日本国民に伝え、啓蒙すべきじゃないんですか?
中国のように、デジタルレーニン主義で国民総背番号・総合評価点制度を導入し、年間2桁以上の成長力を誇る軍事費よりもさらに金をかけている治安維持費用で武装警察を創設し、国民の監視・統制をするのもアリ。
韓国のように、陽性者申告制度、検査拒否罪を設け、スマホのGPSを監視し、軽症者は自宅待機。
(韓国では95%以上キャッシュレス決済なので)決済情報を監視し、外出していないか監視。
連絡のつかない感染疑惑者は自宅に強行突入して調査。
非常時はここまでするべき、危機管理は最悪を想定してここまで準備しておくべき、でも日本人はそれができない。
…と主張するなら筋が通りますが、そんなことはおくびにも出さず、しゃあしゃあと「僕は武道家ですから最悪の事態に備えるのが習い性ですが、日本社会ではそれが通りません」ですか。
ホントに卑怯な言論人ですなw
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■こうした非常事態においてアート(表現活動全般)は二の次だという意見があります。もしいまアートにやらなければならないことがあるとしたら、それは何だと思いますか?
現実を見るにはさまざまな視点があり、ものごとの価値を考量するのにはさまざまな「ものさし」があります。それが多様であればあるほどわれわれの心身は安定し、生きていける場所(ニッチ)は増えるし、多様化する。
ある視点から見たら絶望的な事態でも、別の視点からは転換期の徴候に見えることがあり、ある「ものさし」で計ると無価値なものが、別の「ものさし」をあてがうと宝物に見えることがある。芸術はそういう「ものの見方の多様性」を提供してくれるものです。ですから、非常時ほど、困難な時ほど、人は生き延びるために芸術を必要と思います。
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言語明瞭、意味不明瞭、竹下登流弁論術ですなw
お友達の平田オリザが
「 製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない」
と謎の上から目線の(だから政府は芸術家に金を出すべき)と河原乞食根性丸出しの物乞いで炎上中。
製造業は増産すればいい、なんてどこの共産主義国家の話なんですかね?
こんなのを内閣参与にしていた民主党鳩ポッポ政権はそれだけでルーピーだとわかりますw
そんな平田オリザの炎上をを受けての意見なんでしょうな。
困難な時ほど人は芸術を必要とするのなら、別に政府が金を出す必要はないんじゃないですか?
自然とパトロンがつくでしょう。
パトロンがつかずとも、「芸術家は霞を食え、芸術家ならそれで制作できる!」とゆかぴょんは思いますw
真に価値があるのなら、死後、ゴッホのように評価されることでしょう。
内田クンは、クールジャパンみたいに政府が金を出したところで上手くいくはずがないという立場なんだから、オリザくんを窘めるべきなんじゃないのかなw
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致死率を除くと、ロンドンのペスト禍と日本のコロナ禍は実によく似ています。ロンドンから逃げ出した住民たちを田舎の住民たちが「来るな」と言って追い返す話が(ダニエル・デフォーの『ペスト』には)詳しく書かれています。事実、ロンドンからは逃れ出たものの、雨露もしのげず飢えも癒せず街道で横死した人が多く出ました。この死者たちがどれほどいたのかはわかっていませんが、彼らはペストの死者にはカウントされていません。
県外からの車を煽ったり、車に傷をつけたりする人は、もう少し事態が悪化すれば、「死ね」というような言葉を口にできる人間だということは覚えていた方がいい。
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自粛警察批判ですか。
まあ、ゆかぴょんもどうかとは思いますが、アレはある程度は必要悪なのだと思いますよ。
だって、このご時世に不要不急の沖縄旅行や発熱後のゴルフでコロナを撒き散らした石田純一、京産大富山クラスター女子、山梨帰省クラスター女子のようなアクティブガイジを当局が規制できない以上、悠長に「国民ひとりひとりが自己判断で適切に振る舞うことの出来る市民的成熟」を待つことなどできないじゃーないですか?
むしろ、自粛警察のような淘汰圧が働くことで(パンデミック時にアクティブガイジはアカンのや)と市民的成熟が進むんじゃーないですかね?
正解などないとは思いますが、内田クンのアクティブガイジへの処方箋が聞きたいところです。
内田クンは「批評批判は心を腐らす」ともっともなことをいいながら、いつもの内田節、さりげなく政府批判の支那朝鮮ヨイショ。
パヨチンはホントにどうしようもないな、と呆れるゆかぴょんなのであった。ちゃんちゃん。