網走の夜は寒かった・・・、ぢゃなくて、布哇の陽射しは強かった・・・。


何ちゅーか、円安ドル高に(アメリカはずっと)インフレで、円が弱くなったなーと実感した旅行でした。


そうそう、アリゾナとミズーリも見てきましたよ。


 起つや忽ち撃滅のかちどき挙がる太平洋

 東亜侵略百年の野望をここに覆す

 いま決戦の時来る


大東亜決戦の歌は名曲ですなあ。


ミズーリは、おおこれがバトルシップで大活躍の・・・と感慨もひとしおでした(←違う?)


しかし、アレですな。


真珠湾攻撃も戦略レベルでのifを言い出すとキリがないので、戦術で戦略を覆せたかという視点でifを考えますると、後知恵バリバリですが、もっとやりようはありましたな。


まず、日米交渉中に奇襲というのがよろしくない。

おそらくこれは外務省の不手際ではなく、海軍の意向で宣戦布告前の奇襲に拘った意図的奇襲だとゆかぴょんは推測している。


ハルノートが付きつけられた時点で、特ア風に『このような受け入れがたい条件を突如付きつけてくるようでは、アメリカ当局者の誠意を疑わざるを得ない。日米交渉が決裂したのは、アメリカ当局者の責任であり、これにより引き起こされる事態はアメリカに責任がある』と発表し、アメリカ大使館から大使を召還(=外交儀礼的には外交断行も辞さないの意)する。


その上での真珠湾奇襲であれば、少なくとも史実のそれよりは筋が通るし、アメリカ国内でもルーズベルト批判の声は強くなったであろう。


次に、真珠湾攻撃だけど、やっぱ、軍港・軍艦・飛行場だけじゃなくて、石油タンクと海軍工廠も爆撃しておくべきだったよね。

これは事前の情報収集・分析不足もあるけど、そもそも敵の嫌がることは何か?を突き詰めて考えることの出来なかった帝国陸海軍の思考形態の欠点の表れと捉えるべきなんでしょうな。


その上で、ハワイ近海で数日索敵、敵空母を補足・撃滅すべきでしたな。


そのためには、史実の戦力では不足、戦艦は比叡・霧島だけでなく、金剛と榛名も、そして重巡洋艦ももそっとつけんかい、と思うのですよ。


そうすれば、第一次攻撃成功後は落ち着いて索敵、腰を据えた攻撃が出来たはず。

敵空母まで撃滅できれば、その時点で弾薬庫が空になっても何ら問題なし。


皇国の興廃この一戦にあり、と言うのならば、せめてここまではやらないといけなかった、と思うのです。


もし、ハワイの軍港機能喪失、敵空母撃破できていたならば、その後はシンガポールを拠点にインド洋作戦を進め、喜望峰周りのアフリカ戦線、イラク経由のソ連へのレンドリース、ビルマ経由の援蒋ルート遮断を図るとともに、東南アジアに加えて、インド蜂起を工作する。


と進めることは、後知恵なれども、やっていれば実現可能は高かったと思うのですよ。


米国に王手はかけられずとも、イギリスに王手、中国・ソ連の補給路を遮断できるインド洋作戦こそが真珠湾攻撃後の唯一の勝ち筋だった、とゆかぴょんはミズーリ艦上で思ったのでおじゃる。