よし、明日はゆかぴょんPFの整理と売り方デビューのために、会社を休むことに決定。
よって、多少の夜更かしはOK牧場、ということでネットを徘徊していたら、伊藤塾の「憲法の番人 」という記事を発見。
以前に、団塊世代のエンジニアの「日本の基礎技術はスカスカ 」との発言を記事にしたけど、日本の文系はレベル以前の問題、と言わざるをえない。
理系の場合は仮説-検証というプロセスを踏み、再現性を確認するので、事実に基づいての議論である。したがって、朝鮮ウソツク教授のヒト胚幹細胞捏造事件のように、ウソをつけばバレる。
しかし、文系は学問であって、科学ではない。
体系だった知識であればそれでよいのだ。
よって、カトリックの膨大な知識体系も、プロテスタントから見たら、「こんなもん、後生大事に保管しやがって、ケツを拭くにもなりゃしねえのによぉww」ということも当たり前にありうる。
さて、文系の学問は?といえば、まず法学でしょう。
法治国家たる日本の法の基本は?
そりゃ、憲法でしょう。
で、この伊藤真弁護士は、
>自民党の高村正彦副総裁は「憲法の番人は学者ではなく、最高裁だ」
>と発言したそうです。一人一票実現訴訟の判決では最高裁判決を
>まるで無視しておきながら、砂川事件判決を集団的自衛権の根拠と
>して持ち出すとは、苦し紛れとしか思えません。
>ですが、その最高裁判事も国民審査で罷免されます。
>つまり憲法の番人は国民なのです。
とおっしゃる。
法学を学び、司法試験に合格した弁護士先生はそう言わざるを得ないのかもしれませんねww
しかし、この定説には疑問が残る、とゆかぴょん、センゴク風に言ってみたりww
憲法の番人は、内閣法制局でも、法務省でも、最高裁でも、国民でもありません。
日本国内における憲法の番人は、外務省です。
だって、成り立ちから考えたらわかるよね。
アメリカ(当時の出先部門はGHQ)に押し付けられた憲法なんですもん。
改憲手続きは憲法第96条第1項で「各議員の総議員の2/3以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案して、その承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」という、まあ現実的には無理ですわな、これは。
アングロサクソン流の腹黒さで、ちゃんと改憲手続きも書いておいたよ、とムリゲーでもクリア条件はあるもんね、という仕組み。
日本国憲法は日米安全保障条約とセットでないと成立しない(日本は丸腰でいろ、その代わり、アメリカが守ってやるから)ので、憲法の番人は外務省北米局日米安全保障条約課なのである。
また、<最高裁判事も国民審査で罷免されます>とのことであるが、あんな名前だけ並べた紙を選挙の際に渡されて、数名いるのに×をつけられた人が有効票数の過半数に達しないと罷免されない。また、その審査の投票率が1%未満であった場合には罷免されない。
となっていて、実質的には全く機能しておらず、実際に戦後この制度で罷免された裁判官は一人もいない。
そんな審査を以てして、
>その最高裁判事も国民審査で罷免されます。専門家に敬意を払い、力を持つ者も謙虚さを美徳とする国から、
>つまり憲法の番人は国民なのです。
などとしゃあしゃあと抜かす人間が尊敬されるわけがないでしょうww
>専門家など自分に都合よく利用すればいいとばかりにその叡智を
>貶める国になってしまいます。
はぁ、そうですか。
マスコミも司法業界(裁判官・検事・弁護士)も、国民の監視もなく、批判の声を真摯に受け止めることがない権力だから、腐敗しきって、尊敬されないんですよww
>今私たちに問われているのは、どのような国に過ごしたいのか、
>日本をどのような国に創り上げたいのかという私たち自身の意思です。
だったら、廃憲一択でしょう。
そして、アメリカと日本政府の約束事ではなく、日本国と日本国民との約束事としての新日本国憲法を創って発布するべきでしょう。
売り家と唐様で書く三代目、戦後も70年も過ぎると、法匪的発想にどっぷりと浸かって、そもそもの物事の道理・根源を考えることの出来ない、その発想のかけらすらもない人間が幅を利かせるようになるもんですな。
安倍政権の集団的自衛権の行使も、そもそもこの憲法の抱える矛盾を解消するための動きであり、それが後の世から見て、正解となるか不正解となるかは定かではないものの、一つの答えを出そうとしているのでしょう。
反戦平和人権福祉念仏真理教の信者は、豎子与に謀るに足らず(考えの浅い者とは、重大なことについて相談しても仕方がないということ)、全くもって救いようがありませんな、と思うゆかぴょんなのであった。
ちゃんちゃん。