BLOGOSで内田樹さんが「言論の自由」についての見解を述べておられます。
>「言論の自由」について思うことを述べる。
>繰り返し書いていることだが、たいせつなことなので、もう一度書く。
>言論の自由とは
>私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを
>言う。
>その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。
>ただそれだけのことである。
>(中略)
>私は「言論の自由」が持続可能な社会的規範であり続けるためには、
>後段の条件が不可避であろうと思う。
>「その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする」という条件の
>どこがそれほど重要なのか。
>それはこの条件が「敬語で書かれていること」である。
>それは擬制的に「理非の判断を下す方々」を論争の当事者よりも
>「上に置く」ということである。
この人の著作は何冊か読んでるんだけど、洗練された文章、独特の視点、などなど多々見るべき知見があると思います。
んでも、この人が上手いというか、狡いところは、じゃああなたのお友達wwはどうなの?というところには全く触れないところです。
戦前、言論の自由を弾圧したのは、五族協和、八紘一宇、無敵皇軍、必勝の信念を叫ぶ人たちでした。(勿論、そこには朝日新聞も毎日新聞もいましたよww)
では、戦後、言論の自由をもっとも軽んじていた勢力は?
共産党、社会党、言論出版妨害事件を起こした創価学会・公明党、日教組、朝日新聞、毎日新聞、それらに連なる進歩的文化人でしょww
まさに、内田樹さんのいうところの
>「私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
>私の言うことが正しいので、他人による理非の判断はもとより不要で
>ある」と考える人間は「言論の自由」について語る資格がない。
という、自分は絶対に正しくて反対するものはバカ野郎だ、という態度で振る舞い続けてましたよね?
・ソ連は日本などよりはるかに自由な国で、思想の自由も日本とは
比べ物にならない(向坂逸郎)
・北京にはハエが一匹もいない(大江健三郎)
・この国(北朝鮮)には泥棒もいないし、警察官もいない(槙枝元文)
などと戯言を抜かしていた人たちはどこにいったんでしょうねww
>今問題になっているのは、「国民は長期的・集合的には必ずや
>適切な判断を下すだろう」という「国民の叡智」に対する信認の
>存否である。
>いくつかの新聞を挙げて「つぶれた方がいい」と言った人間は
>その新聞の読者たちに向かって「おまえたちは新聞に騙されて
>いるから、間違った判断を下すだろう」と言っているのである。
ああ、長い前段はこれが言いたかったんですねww
朝鮮日報日本支社(略称:朝日新聞)そのものじゃーないですかww
しかし、それは問題のすり替えじゃーないですか。
内田さんの「街場の現代思想」だったと思いますけど、
>どれほど証拠をつきつけられても自説を譲らず、どれほど諫言され
>ても自分に都合の悪いデータを無視するような人間は、失敗を先
>延ばしにする分だけ、結局被害を大きくすることしかできない。
という一文に当てはまるのが、朝日新聞の慰安婦報道捏造事件なんじゃーないでしょうか。
福島第一原発の吉田調書誤報とタイミングをあわせて発表しとけば、慰安婦問題の発端となった吉田清治証言もごっちゃになって有耶無耶に出来るなあ、などと姑息なことを考え、どこかの政治家みたいに「あー、あー、すいませんしたww、この問題はこれで終わりねww」とふざけた態度を取る新聞社なんぞ、潰れた方が世のため、人のためでしょう。
捏造報道を繰り返し、反省も謝罪も出来ない腐った新聞社は潰れる、そうでない新聞社は存続したり、新たに生まれてくる、そっちの方がよっぽど健全な世の中である、と思いますよ。
自動車のリコールや食品会社の食中毒事件をこれでもかとばかりに叩き続けて、問題の本質や再発防止についての知見を語るわけでもない新聞社が、自分の不祥事の時に限って「罪を憎んで人を憎まず」みたいな態度を取ったら、ふざけるな、つー話ですよww
朝日新聞潰るるも、何ら惜しむに足らず、関係者の路頭に迷う日来たらば、まさに祝うべし と思うゆかぴょんなのであった。
ちゃんちゃん。