(前回より続き)

ポルポトの
 --腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない--
という迷言を調べていたら、本多勝一に興味が移っていきましたww

本多勝一は、『潮』1975年10月号に発表した「カンボジア革命の一側面」と題する記事の中で
「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者(赤色クメール)を指す」

による大虐殺などは全くウソだった・・・」
と断言していました。

この記事は翌年、ほぼそのままで『貧困なる精神4集』(初版1976年3月31日発行)に収録されたのですが、同署の第9刷増刷(1990年3月10日)では上記のくだりが削除され、
「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民が

ただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中に

あっては事実そのものが全くわからず噂や

一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない
と書き換えられていました。

本多は、1978年初頭、さらにポルポト政権が崩壊後の1980年に現地を取材し、虐殺が「あった」と断言するようになったものの、それからは虐殺が「なかった」と主張する人たちを
「ひところ日本に「カンボジア虐殺はなかった」と根拠もなしに

主張する学者やジャーナリストがいて、日本型"知識人"たちの

退廃ぶりに驚嘆させられたものだが、ベトナムはそこまで退廃は

してはいないので、大虐殺の事実についてはむろん疑問など

全く抱いていない。」
(出典:本多勝一「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」)
と非難しています。

いやいや、お前もその一人だろww
百歩譲って、オレは違う、現地取材したと主張するのなら、
「その時点では見抜けなかった・・・、このリハクの目を以てしても・・・」
ということで、それはそれで理解するけど、だったら、その時点の記事を姑息に後で書き換えるなよww

そこは注釈を入れて、いつ時点で虐殺があったことに気が付いたかを書きなさいって。
そうすれば、過去間違っていたことも、何故その時点で現地取材しても見誤ったか、いつの時点で何を根拠に気が付いたか、といった資料的価値が増し、ジャーナリストとしての評価も高まるだろうに。

このような姑息な書き換えをすることと、過ちは過ちと認めて記録を残す姿勢を示す、そこがゴミとジャーナリストの大分水嶺だろうとww

というわけで、この本多勝一ってまだ生きてるみたいだけど、死んだときには左巻きとお花畑界の住民がヨイショヨイショをすると予想されるので、今からゆかぴょんは宣言しておく。
 「敢えて言おう!本多勝一はカスであるとww
ちゃんちゃん。