中津と言えば、福沢諭吉先生と連想する人が一番多いのではないでしょうか?


慶応大学では、先生とは諭吉先生のことを指し、教授であっても君付けであると聞きます。


しかし、ゆかぴょん、以前に慶応大学のとある学部長に会った際に「聖地(中津市・福沢旧邸)巡礼するもんなんですか」と聞いたら、「いや、行ったことない」と言ってましたぞ。うーむ、このような学部長が存在するとは嘆かわしい限りですw


入場券を兄に買ってもらい、ブーフーウーのブーが住んでいそうな旧邸を見学。

敷地の中に白鷺稲荷神社がありましたが、もしや、これは福翁自伝に書いてあった、諭吉先生がご神体を入れ替えても罰なんかあたらんかったんや!の神社では・・・・・・。

だとすると、祟らぬ神に力なし、力なき神にご利益なし、なのでは・・・・・・。


続いて、福沢記念館に入り、展示物を見学。


ゆかぴょん、日本の自伝ものでは、福翁自伝と氷川清話が1・2をを争う面白さだと思うんだけど、YYS(やっぱり諭吉先生は凄い!)と思うエピソードを今日は書いていこうかと思いまふ。


YYS(その1)

大阪・適塾の塾頭となり、江戸へ蘭学を教えに行き、横浜居留地へ足を延ばした際に自信の蘭語が全く通じない!つーか、時代は英吉利・英語ですぜ?の衝撃を受け、あっさり、蘭語→英語に乗り換えたこと。


今で言えば、半生のほとんどを廃課金してたNEETが、そのネトゲのアカウントを抹消された位の衝撃だったのではないでしょうか?

ゆかぴょんだったら、身に着けた蘭語で何とかできないかとサンクコストに拘ってしまうと思うのだけど、そこが凡人と大きく違うところですなー、と。(続く)