放送大学で心理学を学ぶ主婦の日記 -14ページ目

放送大学で心理学を学ぶ主婦の日記

ご覧いただきありがとうございます。
通信で心理学を学びたい方や、心理学に興味がある方向けのブログです。駄文も多いです。

おはようございます。春が来たかと思えば寒の戻りですね。

 

今日は最近になって春学期に受講した

【心理カウンセリング序説】で大山先生が仰っていたことを

考えるきっかけとなった出来事について書きたいと思います。

 

 

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共感と共鳴の違い

 

共感とは他者と共に同じもの(こと)を見つめる

イメージ:亡くなった愛する親の墓を愛する兄弟で並んで見つめる

 

共鳴とは他者と共に揺れ動く

イメージ:赤ん坊が一人泣き出すと次々に他の赤ん坊も泣く

 

カウンセラーに必要な資質は【共感】である

人はあくまで一人の独立した個人なのである

人と人は肉体で隔てられているように精神は融合させない

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この講義を受けた後,私は【共感】はしても【共鳴】は避けたいと考えるようになりました。

(時には共鳴を経て共感に至る場合もあるそうです。)

 

今までの人生を振り返った時に,共鳴している時の自分はとても不安定であったと思います。

 

 

 

最近知人がパートを辞めました。

夫婦で話し合って決めて,納得しているとの事でしたが,

少し話に矛盾があります。

「夫は家にいて欲しいと言っている」

「家に私がずっといると『日中なにしてるの』と言われる」

 

事実は私には不明です。

けれども,彼女が退職したとたんに,お子様が半分以上欠席するようになりました。

朝になると「今日は休むね」と私に連絡が来るのですが,

当初は肯定的に返していたものの,徐々に何だか面倒くさくなってきております。

お子様も友人関係で悩みが出てきたそうです。

 

 

家に子供がいると彼女は【母親】という仕事を得ることが出来ます。

ご主人にも小言を言われないでしょう。

けれども,お子様にとってこれは良いことなのでしょうか。

子どもは子どもで世界を作るのに(社会に出る準備)親の都合で

行かせたり休ませたり…。

 

助言を求められてはいないので何も言いません。

けれど,朝に「休ませるね」という一言を貰うたび

私の心は乱されます。

 

 

【共鳴】は時として恐ろしく感じます。

 

 

親子であっても一人の個人として自分の世界を持つことは,

健康的に暮らすために必要ではないかと考えた出来事でした。