諸事情で時間を持て余して、ブログの更新をしたくなってきました。
忙しいと考えもつかないことが、時間ができると考えることができます。
大学院の入試をきっかけに、自分がどんな大学生活を送ってきたのかを、否応なしに直面することになりました。試験勉強の時は勉強でいっぱいいっぱいで考えなかったのに、今更。
成績が酷く卒論を書かずに卒業したのは以前書いたのですが、自分で新しいことを考えてそれを主張したり、それを他社と共有する力を身に着けないままに卒業をしたのかなあ…そんな風に思います。
高校までは暗記とその応用でした。多分私は、その分野は割と得意なのだと思います。
けれど、大学は講義をきっかけに自分で問題を見つけて、過去の論文や図書を参考にして、自分の考えをまとめる(あるいは研究する)、他者と共有して深める、ここまで出来て及第点なのだと。
私はそこまで出来なかった。
大学院の面接で、その事実を突きつけられました。
それと同時に、わたし本当にそこまでやりたいのかな…と弱気で逃げ腰な自分が最近出て来ております。
特に、【他者と共有する】のが怖い。自分が考えに考えた事を否定される、見向きもされないのが怖い。
この怖さと向き合えないのであれば、研究はきっと出来ない。
時には立ち止まり、距離を取ることが必要なのかもしれない。
本当に私は、研究をする覚悟があるのだろうか。
来月からまた放送大学の授業が始まる。
放送大学の授業は楽しい。自分の興味ある分野の知識を得られる、生活のふとした瞬間にそれが生きる喜び。
単位認定試験も程よい難易度で達成感もある。
そして、一部教科を除けば基本的にオンライン配信授業で完結して相互のやり取りがないので、意見をまとめて発表することも無ければ、私の考えを否定されることもない。
それが放送大学の私の中での良さであり、私の弱点を克服する機会を阻んでいるところでもある。
だからきっとこんなに楽しいんだ。純粋に勉強が楽しい。
それ以上、研究レベルに行って苦しむ事もなく卒業することはできる。
けれど、臨床心理士は修士論文を書く以上…研究である。
これはパラドックス。
9月は思う存分に悩みます。来月からまた、走ってみようと思います。