初夏の埼玉県久喜市栗橋 静御前と燕 | さんぽだいすきおじさん2号のブログ

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日常の気晴らし散歩で
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。。。気楽によってね!ワン!

みなさんおはようございます

先週日曜日の埼玉の栃木より

利根川を挟んだエリア栗橋から

大利根と云う地域の散歩です

宇都宮線栗橋から見て。。。

南側は水郷地域

西側の久喜から東部伊勢崎線

加須(かぞ)は水田稲作地域。。

まずは栗橋駅前の京都の白拍子

(雨乞いの巫女)

「静御前の墓」。。。

定説としては。。。下関壇ノ浦の戦い

に同行した「静御前」は義経弁慶共々

鎌倉に凱旋のはずが兄「頼朝」の

追討命令で水運が使えなくなり

奈良県「吉野山越え」を試みるが

女人禁制で入山出来ずに義経一行

と別れやがて追ってに捕まり

鎌倉に幽閉される。。後に義経の

授かり物の男子を出産するが

頼朝に殺されて。。。以後消息不明。。。

ここからは推測で。。。鎌倉に入れない

義経一行は熱田から船で犬吠埼に上陸。。

鹿島⇒常陸⇒陸奥(仙台)⇒奥州(岩手)

藤原兄弟の元に落ち延びるが頼朝の

内通者がいて鎌倉に知れてしまう

頼朝の妻の京の「北条政子」は

「静御前」に同情的だったが。。京に帰らず

鎌倉に水害を招く祈祷を始めた「静御前」

を宥め。。。鎌倉街道でなく伝馬船で沿岸

を転々としながら外南房総から

銚子⇒利根川を遡上して栃木(下毛)へ

途中「義経討伐」の報を

聞き失意の内に旅先で亡くなる。。。

と云う話です。。。真相は判りませんが

あちこちに「静御前伝説」が生まれたのは

名立たる「京の白拍子がオラの村にも来る!」

と云う事で。。湧水のあるところに祠を建て

頼朝の領主の手前は

「清水ヶ窪(しみずがくぼ)」と呼んだが

「静ヶ墓(しずかぼ)」とも言われ

稲作地域の水の稲荷は

「静御前」を祀っていたのかも

知れないと云う話でした

◆栗橋 利根川橋の燕の営巣地

がちょと凄い!

大利根水田を歩くにつづく