レモン哀歌 | さんぽだいすきおじさん2号のブログ

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日常の気晴らし散歩で
見つけたことや知ったことなど
書き綴っています
。。。気楽によってね!ワン!

快晴の休日の今朝
洗濯物をしながら
さいたま新都心の
オクトーパスフェス
で昼ビール!とか
考えていたんですが
よくお立ち寄り
させていただいている
ブロガーさんの
「檸檬」。。。(レモン)
と云う記事を見て。。

明日10/5は。。。
或る場所を訪ねずに
いられない衝動にかられ
KT線を大宮とは反対の
王子へ。。
 
さらに都電の庚申塚
 
 
 
 
 
とげぬき地蔵尊の参道
を抜け
都営霊園
 
「染井霊園」

高村光太郎
の妻
高村智恵子
の命日です。。
巣鴨の染谷霊園にある
高村家の墓所で。。。
智恵子は眠っています。。
高村光太郎(みつたろう)
中野区生まれ
東京芸大卒
駒込にアトリエを建て
「道程」
でしられる
詩作、彫塑、洋画
明治、大正、昭和にかけ
多彩な芸術活動をしていた
多忙な人物です。。
◆秋の祈◆
秋は
喨喨(りょうりょう)と
空になり
空は水色
鳥が飛び
魂いななき
清浄の水
こころに流れ
こころ
眼(まなこ)あけ
童子(どうじ)
となる

 。。。
1914(大正15)福島県出身
洋画家 長沼智恵子と結婚
1929(昭和4年)
智恵子の実家破産。。
日中戦争本格化
とそのころ
ヨーロッパを席巻支配した
親ナチス化
ナチス使節訪日に
銀座通りに黒い
 
ハーケンクロイツが
翻った暗い世相。。

光太郎の家庭を
省みない多忙さ
も重なってか
感受性の鋭い
女性芸術家は
心因ヒステリー発作を
伴う総合失調症
患い
1938年(昭和13年)死別。。
光太郎は亡き妻、智恵子
との思い出を作詞を始め
29篇の詩をのこす。。
 
●樹下(じゅか)の二人
●あどけない話
●山麓の二人
●千鳥と遊ぶ智恵子
彼女の臨終の際の詩
 
●レモン哀歌
そんなにも
あなたはレモンを
待っていた
かなしく白く
あかるい死の床で
わたしの手からとった
一つのレモンを
あなたのきれいな歯が
がりり
と噛んだ
トパアズいろの
香気が立つ
その数滴の
天のものなるレモンの汁は
ぱっと
あなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼が
かすかに笑ふ
わたしの手を握る
あなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に
嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子は
もとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん=山頂)
でしたような
深呼吸を一つして
あなたの機関は
それなり止まった
写真の前に
挿した桜の花かげに
すずしく光る
レモンを今日も置かう

。。。
明日10/5は高村智恵子さんの
89回目の命日です。。
智恵子さん。。。
貴方の故郷は原発事故で
まだ立ち入り禁止ですが
10/4の東京は
 
こんな空でした。。