1月28日、今日は母方の祖父の誕生日。
貫井笑店み亭です。
わたしが中学2年生の時に亡くなった祖父。生まれて初めて人の死を身近に感じました。
の亭(夫)家は祖父母の誕生日に親戚が集まります。
み亭家、両親と兄弟の誕生日は祝うけれど、祖父母の誕生日は知らないまま大人になってしまいました。
祖父の33回忌を迎える年に祖母も亡くなりました。
恥ずかしながら、祖父母が亡くなってからそれぞれの誕生日を知りました。
祖父は中国と韓国に戦争に行きました。祖母も空襲を生き延びました。
祖父母が戦争を生き延びることができたからこそ、今ここにわたしの命がある。
さらに遡れば、大勢のご先祖さまたちがいて、それぞれに過酷な時代を生き延びて命のバトンを受け継いで来ました。
誰一人欠けてもわたしの命は今ここに存在しません。
時の流れと命のバトンに想いを馳せると、今ここに命があることが奇跡的なことだなぁと思わされます。
わたしは無口だった祖父と会話した記憶がありません。
生前一度もお誕生日おめでとうと言えなかったのでこの場をお借りしてお祝いの言葉を伝えたいと思います。
おじいちゃん、お誕生日おめでとう!!!
言葉には出さなかったけれど、可愛がってくれてありがとうございました。
休みに遊びに行くと微笑んでくれ、帰る時には車が見えなくなるまで見送ってくれたこと忘れません。
今も心の中に生きていてくれてありがとう。
さて、数年前、富士吉田市のオーガニックカフェでランチを食べていたら、祖父にそっくりのバリの方が表紙の写真集を見つけてびっくりしました。
あまりに似ているので両親と妹たちにも写真を送ってしまいました笑。こんなに立派な歯ではなかったけれどすごく似ています。
母の旧姓は渡邊です。
富士と渡辺姓のつながりについて
シャンタンさんから、生前「富士神界は渡辺一族が守っているんだよ」また、「世界は一つの家族で、同じ苗字の人は言うなればごく近い親戚のようなものよね」と伺っていました。
不二阿祖山太神宮の渡邉聖主さん。渡辺姓でいらっしゃいます。
道の駅富士吉田の売店をのぞいていたら、木工売り場の表札見本が渡邊で、「うわっ!!!」っと思いました。
わたしの祖母は戦争中、海軍の軍服を縫う仕事をしていて、空襲を逃れるため辻堂から御殿場市に工場ごと疎開し、疎開先で空襲に逢いました。
その後祖父と結婚したのですが、富士山の界隈で仕事をしていたこと、、、ご縁があるなぁと思うのです。
そして、今住んでいる埼玉県鴻巣市は、日本ではじめて渡辺姓を名乗った、平安時代の武士渡辺綱公の生まれたところ。このシンクロにはかなりゾワゾワしました。
そして渡辺綱公も御祭神となっている、箕田氷川八幡神社の鳥居の真っ直ぐ先には、富士山。
今は新しい家がかなり経ちましたが、数十年前までは当たりは何もなく、富士山がよ〜く見えたそうです。
この地に引っ越してきた日、お空に富士山のような雲が浮かんでいたことも思い出されます。
祖父の誕生日から話が大きくなってしまいましたが、戦争を生き延びた祖父母の生きた姿から学んだことは、無益な争いは避けて、常に心の平安を大事にしながら暮らすということ。
命のつながりを思えば思うほど、あの人のここが嫌、ああ言われて頭に来たと思ったとしても、全てがつながっていて、嫌だなということをしてくる人にもそれぞれの事情があるのだなという心の余裕が生まれます。
まだまだですが、感情に呑み込まれそうになったら、過去から続く命のつながりを思いながら深呼吸して瞑想します。
嫌な人、怒る人、全ての全てが平和でありますように。
祈りを込めて瞑想します。
過去にたくさん人とぶつかって、さんざん気持ちを掻き乱して、それが嫌でたまらなくて、なんとかしたいともがきながら生きてきて、時を経てやっとここまでたどり着けました。
生きている限りこの道のりは続く。
来月2月23日はの亭のおばあちゃんの88歳のお誕生日です。天皇誕生日で富士山の日。
シンクロ祭りです。シンクロに気づけば気づくほど、日本人として今ここに命があって、生かされている命をどう使うのか???と問われている気がしてきます。
さあ、やることをやろう。
お忙しい中、長い記事をお読みくださりありがとうございました。
おじいちゃん、ご先祖さまたち、いつもありがとうございます。
全ての全てにありがとうございます。
み亭より