だうも み亭です
だうもってのはわたしの父がいつもメールに書いてくる挨拶なんですヨ(内輪ネタです)
さて、本日2020年10月21日は関ヶ原の戦いのあった日。ちょうど422年ですネ〜。
1600年9月15日(旧暦)(新暦だと10月21日)に関ヶ原で合戦がありました。
2015年からの亭と一緒に祈りのフィールドワークを続けています。
インスピレーションのあった土地に足を運び、土地にある全て(現在・過去・未来、自然や人、さまざまな神仏やありとあらゆる見えないものなど)に祈って来ました。
土地に残る想いと自分の中にある想いが共振し、さまざまな気持ちが沸き出します。場合によっては頭やお腹が重たいとか、身体に反応が現れることもあります。続けるうちに最近では身体の反応は以前ほどには起きなくなってきています。
声を出したり、身体を動かしたり、心静かに手を合わせたり、その時々で思いつくがまま、浮かんでくるまま、さまざまな祈りをします。
祈りというと一般的には心静かに手を合わせることだと思いますが、祈りにはさまざな形があります。例えば、音楽や絵画などのアートにはさまざな祈りが込められていますものね。
わたしにとっては心静かな何もない状態に到達するまでが祈りです。
祈ることは自分のためです。
「わたしってば良いことしているんだ」と勘違いして偉ぶっていた過去の自分も居ましたが、祈り続ける内に変化しました。
これまで常識と思っていたことがどんどん崩れ、価値観、考え方、感じ方が大きく変わりました。
おかげさまで、祈ることでたくさんのことに気づけました。
祈りのフィールドワークを教えてくれたのは今年の3月に亡くなった瞑想家でアーティストのシャンタンさんです。
教えてもらったことを自分たちなりにアレンジして祈って来ました。
シャンタンさんはお師匠さんとも違うし、お友達っていうわけでもないし、夫は「おやじみたいな感じ」と言っていますが、わたしにとっては祈りのフィールドワークの話をかなり近い温度感でお話が出来る唯一の方でした。
「今どこどこに祈りに来てますヨ〜」とお電話すると、「おぉぉぉぉ〜」とリアクションしてくれました。だいたいの確率でシャンタンさんにも何らかのシンクロが起きていたからです。思いつくままにいろんな話をしてくれました。
わたしが知ったことや感じ取ったことを伝えると、ゆっくりなペースで「はい はい はい はい」と深くうなずいて、電話越しに一緒に祈ることで静かな時間が訪れたり、はたまた気持ちが抜け切らないままのこともありました。
さて、2017年9月15日、思い立って関ヶ原に行きました。
突然行く事に決めたにも関わらずありがたいことに、シャンタンさんのご縁でつながったあだっちゃんが仕事を休んで車を出してくれました。
この時はシャンタンさんは用事があったのか何だったのか忘れたのですが、特に連絡しませんでした。
「関ヶ原ではもう何度も祈っているよ」と言われるのが嫌で連絡しなかったのかなぁ、、、。どこか遠くに出かけていらっしゃったのかもしれません。5年も前の話なのでそこらへんのことは良く覚えていません、、、
おかげで関ヶ原の合戦のあった各地と、琵琶湖方面に向かい、石田三成公の出身地や、浅井長政公のお城などにも行けました。
時を経て、2020年に埼玉県に引っ越してくると、家の近所に石田三成公が豊臣秀吉公の命令で戦を仕掛けた行田の忍城があって、お城を攻めるのに築いたという石田堤の一部が今も残っています。
岐阜のお城から馬や歩きで何日もかけて埼玉まで戦いに来るんですもんねぇ、、、。
昨日、夢を見ました。
の亭が教室で自分の人生にまつわる作文を読んでいます。わたしは後ろの席で見ています。
しばらくするとドアががらっと開いて、ご夫婦らしき男女が2人教室に入ってきます。
それを見たの亭が「おう!石田!久しぶり!」と言います。
わたしの隣に座っている人も、その人たちのことを良く知っているようです。
今までの自分だったらそこで疎外感を感じるのですが、の亭のことを知ったつもりになっていても知らないことがまだまだあるもんだなぁ、、、と妙に深く関心しながら目が覚めました。
起きてから夢の話をすると「石田って男の友達はいないなぁ、、、」というの亭。
その時に石田三成公が浮かんで来たので、ブログに書いておくことにしました。
関ヶ原の戦い・天下分け目の合戦。多くの方が亡くなりましたし、その後、徳川の世になってからも負けた側は虐げられて来て、その頃の悔しさ、恨みつらみが200年も続き江戸幕府を終わらせました。(原因はそれだけではないでしょうし、諸説有るかと思います)
関ヶ原を訪ねた2017年の9月15日、ちょうどお祭りをやっていて、無料で足軽の格好をさせてもらいました。
火縄銃や大砲のデモンストレーションもありました。
おもちゃの刀でちゃんばらごっこをしつつも、ここで多勢の方が戦い、命を落としたことを思いました。今のわたしがタイムスリップしたらあっという間に命を落とすでしょう。
その後、「アシガール」にハマって何度も読み返しました。
今は平和な観光地だけれど約400年前には壮絶は風景があったんだよなぁ、、、と思いながら出店で昼ご飯を買って食べていると、お店の女性が話しかけてきました。
「こういっちゃ何だけど、霊感のある人は見えたりするから〜、これで払って」と言って謎のハーブのスプレーをシュッシュッとしてくれました。
他の店員さんが「おい、そんな話をするのはやめろよ〜」と言っているのが面白くて大笑い。
その後、ネットの記事で関ヶ原の戦いから400年以上経って霊現象が減ってきているという地元のおばあちゃんたちのうわさ話があるというのを見ました。記事によると霊現象は400年くらい経つと消えるのか?なんて書いてあって、面白いうわさ話だなと思いました。
さて、話が戻りますが、シャンタンさんは過去世を信じる人で、しかもそれが名だたる武将だったり、なんだり、かんだり、有名人ばかり。
関ヶ原の戦いの頃で言うと、真田幸村公だとおっしゃっていました。
シャンタンさんに影響されて話を合わせて過去世の話をして来た過去の自分もいるのですが、今のわたしは自分自身に過去世があるとは思っていません。
けれども過去世を信じる人を否定するつもりはまったくありません。
心の中は自由です。何を信じる信じないは個人の自由だからです。
けれども、その人が信じていることをわたしに強要されるのは嫌だなぁと感じます。
あなたが自由なら、わたしも自由だからです。
シャンタンさんは名だたる武将や有名人が自分の過去世だと本気で信じていたし、信じていたからこそものすごく真剣に自分ごととして祈っていました。
土地に争いのエネルギーが残っていると感じ取れば、それが抜け切るまで、自分が倒れたとしても祈り続けていました。
2015年から今日まで、あるといえばある、ないといえばない世界に祈りながら向き合って来ました。
祈りのフィールドワークは全てを自分ごととしてとらえる旅でもありました。自分の人生のマンダラと世界のマンダラが細かく織りなされていてつながり合っていることを体感しました。
この世はあらゆる二元で出来ていて、自分の中にも相反する感情があります。どちらかだけということはなくてその時々でゆらいでいます。
良い悪いの基準も少しづつ変わって行っているし、好き嫌いにもゆらぎがある。
天下分け目の関ヶ原の合戦から422年の今日。
わたしのこれまで経験して来た争いの歴史を振り返りながら、これからますます自分自身と調和しながら希望の未来を切り開きます。
とりとめもなく長い記事になりました。
お読みくださりありがとうございました。
み亭より
※の亭追記〜
_φ(・_・
愛しているよ。の亭だよ。
シャンタンさんは、過去生について、
こういう風に語っていたのを思い出したよ。
『過去生は、データのようなもの。
生まれてくるときに、産道を通りながら、
たくさんの命の人生があって、
その花びらを一枚一枚、
ヒョイヒョイっと選んでもってくる。
それが過去生。
同じ過去生を選ぶ人が何人もいたりする。』