またまた残虐な事件が起きました。

9歳の女に子が実の親に見殺しにされ、裸で冷たい土の中に埋められました。

親の離婚によって人生が変わってしまって命まで奪われた。

この子の9年間て、何だったんだろう。


つくづく考えました。


今日は福知山線の事故から4年目の日。

亡くなった人たちも。障害を抱えて生き残った人も。

ともに事故の犠牲者です。


同じように生まれて、こんな運命を与えられるって絶対に何かがある。

いい人なのにひどい最期を迎える人がいる。

悪い人なのに安らかに死ぬ場合もある。

きっと、どちらにも理由はあるんだと思います。


福知山の事故の犠牲者の中に、脳の重篤な病気を克服したばかりの人がいました。

海外に暮らして、帰国直後に事故にあった人もいました。

それほどに試練て必要なのかと、神を呪いたくもなります。


余談ですけど。

ロスの大地震を経験して。「日本がいい」と日本に帰って神戸の地震に遭って

「やっぱ東京がいい」と東京に移動したとたん、サリン事件に巻き込まれた人もいました。

それでも死んでないんだから

そうとうな「役目」を担って生かされているのかも知れませんね。


私も19歳の時に交通事故に遭って。

けっこう車の損傷が激しかったわりに、かすり傷だったんですけど

今でいうPTSDのような感じになって。ムチウチにも苦しめられ

辛い時期があったんですが。

わずかでも生き方に修正が入りました。

その頃、こつこつ貯金していたんですが。

全部おろして、散財しました。


だって、死んでたら使えないお金だから。一回リセットしようと。

そして、後悔しない生き方をしようと思いました。


去年の病気だって。私の考え方を大きく変えました。

万全だと思っていたからだに「余分なもの」が宿っていた。

私の体は健康体ではなかった。

自分の意識と、肉体の内部はまったくリンクしていなかった。

驚きでした。


病気を経験した事で、医療問題への関心も高まったし。

他人の健康も気になるようになりました。

「みんな意外にほったらかしなんだなぁ」と。


誰もが自分だけは大丈夫だと思っています。

でもね安全なはずの電車に乗っていて命を奪われる人もいるし。

ただ歩いているだけで殺される人もいる。

「死」って隣り合わせなんだと意識したら、1秒1秒がとても大切になります。


最近、自分が「まるく」なって行く実感を感じるほどに死が近づいているんではないかと

思います(笑)