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クロイタンスEMのブログ

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12月9日

モーツアルト:コジ・ファン・トゥッテ(女はみんなこうしたもの)

演奏会形式

ジョナサン・ノット+東京交響楽団

新国立劇場合唱団

ミューザ川崎シンフォニーホール

 

心変わりしない女性など存在しない

そんな女性を見つけようとするのは

砂漠に種をまき 海を耕し 流れる風をつかもうとするようなものだ

といった老哲学者ドン・アルフォンソの言葉の真偽をかけて

二人の姉妹フィオルディリージとドラべッラの恋人たち

フェルランドとグリエルモが変装

入れ替わって互いの相手を口説く

彼らは自分の恋人に心変わりなどありえないと自信満々

アルフォンソと賭けをする

アルフォンソに買収された姉妹のメイド デスピーナが大活躍

結果やいかに といったお話だ

 

こんなに寛いで楽しくオペラを見たのは初めてかもしれない

ヨハン・シュトラウスの「こうもり」や「ウィーン気質」など

オペレッタも随分楽しかったが

それとはまた一味違った感動だった

 

世界から集ったトップクラスのソリスト陣の歌と演技

すぐに惹きこまれていった

ほとんど通常のオペラを見ている感覚だ

普段オケピットに隠れているオーケストラが舞台に載ると

音響がまるで違って その演奏が同時に楽しめる

 

ハンマーフリューゲルを弾きながらのノットの指揮

何度も後ろを振り向いてはソリストたちと目くばせ

本当に楽しそうだ

最初は意外と思った小編成のオーケストラがまた素晴らしかった

(3+3+2+1.5+1plutの弦楽セクションと 2管編成)

小気味のいい演奏で

モーツアルトの心地よい響きが鳴り渡った

音によるマッサージ効果とでも言ったらよいのだろうか

居心地が良いのだ

 

お客さんの反応も敏感で

ホールは寛いだ雰囲気に包まれた

終演後 心地よい余韻がずっと残った

という訳で 急遽

11日の東京芸術劇場(池袋)での同じ公演を見に行くことに

 

直前に手配していただいたので

大きな期待はしていなかったのだが

2階RB-C1、2だった(前から2列目)

これは幸運だった

A席だったがS席と感じた

舞台に近く

舞台を右上から見下ろす形で

ほぼ全景が見える

かつて訪れたウィーン・フォルクスオーパー

その舞台寄り右上ボックス席から見るかのような気分

音響も 以前 1階席で聴いた時より断然良かった

 

こんどはあまり字幕を追わず 

ソリストの歌に より集中できて

またまた楽しかった

客席はとっても沸いた

それは愉悦の時間だった

心から満足感に浸った

 

ただ このホール

ちょっと大きすぎるのではないか

後方の座席を眺めると 奥が深くてずっと遠い

2階正面(S席か?)でなくて良かった

休憩の時に

一番後ろに行って眺めてみたら

舞台はまるで小さくて

先ほどの臨場感ある席とはずいぶん印象が違った

 

川崎と比べると 

客席がちょっと行儀のよい感じがした(大人しい)

これは”舞台と客席の距離感”がなせる業なのか

それとも

通 あるいはマニアックなファンが川崎に より多く来たのか

そこでは

思わず笑いが漏れるといった

普段着の感覚で楽しんでいる雰囲気が感じられた

 

最近よく目にする

”ノット+東響の快進撃”

といった表現にすっかり納得

来年12月に

ドン・ジョバンニ(演奏会形式)が企画されている

今から楽しみだ

 

午前中は鶴見でチャリティーコンサートを聴いた

 

モーツアルト:

ディヴェルティメントK.136

クラリネット5重奏曲

ペーター・シュミ―ドル(Cl;元ウィーンフィル首席)

加藤えりな(Vn)

磯田ひろみ(Vn)

木佐貫美保(Va)

マルモ・ササキ(Vc)

 

シュミ―ドルさんのクラリネット

軽やかで変化に富んだ表情と 

クラリネットの音色を心ゆくまで楽しんだ

弦楽各奏者の屈託のないアンサンブルも特筆ものだった

この若い奏者たちとシュミ―ドルさん

不思議なくらい呼吸もぴったり

クラリネットに寄り添い絡みあう様は

暖かい一体感と

何とも心地よい時間を生み出した

 

ディヴェルティメントもとても良かった

この聴き慣れた曲 何の変哲もなく

聞き流してしまうような演奏に出会うことも多い

新鮮な響きに捉われて

食い入るように聴き入ってしまった

爽やかな昼のひと時だった

 

夕方は東響定期(サントリーホール)

ヨーロッパ公演後初めて聴いた

 

ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲

デュティーユ:チェロ協奏曲

シューマン:交響曲第2番

 

「トリスタン」が始まるや

欧州公演を通じて指揮者ノットとの信頼感が一段と高まったかのように感じた

アンサンブルにゆったりとした余裕?が感じられたのは

僕だけだろうか

 

1曲目の「トリスタン」でソリストが入場 

ソリストの位置で演奏に加わった

2曲目のチェロ・コンは

「トリスタン」に続けて始まった

何とも珍しい光景だった

 

ノット氏曰く(プログラムノート):

「トリスタン」における官能性がそのまま

デュティーユの作品に続いている

 

ヨハネス・モーザーというチェリスト

めまぐるしいばかりの技巧の冴え

朗々と歌う美音がホールに鳴り響く

素晴らしかった

 

シューマン2番

地味な曲と思っていたのだが

ノットの手にかかると

力強い生命力が吹き込まれる

なんて魅力的な曲を聴いたのだろう!

 

9日はノット指揮で

演奏会形式の「コジ・ファン・トゥッテ」(モーツアルト)

今年の目玉だ

ノット指揮の東響は聴き逃せなくなった

 

はるか昔 映画館で見た

ヘミングウェイの「武器よさらば」

まだ大学生だった僕に強烈な感動を与えた

第1次世界大戦のイタリア戦線

ミラノの病院で

負傷した若い衛生兵と美しい従軍看護婦が出会う

(ロック・ハドソンとジェニファー・ジョーンズ)

 

偶然 

シリーズ恋物語「ヘミングウェイの初恋」(NHK衛星)を見た

思わず引き込まれるように見入った。

若い衛生兵ヘミングウェイ(19歳)と7歳年上の従軍看護婦アグネスの

初々しくひたむきな恋愛

彼らの手紙などを通してそれを実証的に追った

それはまるで「武器よさらば」を見ているかのようだ

この名作にヘミングウェイの原体験があったことを初めて知った

 

実際の成り行きは小説と違っていた

彼がアメリカに帰って2か月

甘い手紙のやり取りの後

突然別れの手紙を受け取る

アグネスはヨーロッパに留まって

赤十字活動に従事していた

ヘミングウェイの姉によると

彼は一週間部屋に閉じこもりベッドに横たわったままだった

 

アグネスには年齢差からくる不安が・・・

若いヘミングウェイの中に

大きな可能性を見出していたアグネスが身を引いた

と解釈する専門家も

 

僕には

ヘミングウェイがこのとき一度”死んだ”

あるいは

彼の時間がここで一度止まったように思えた

このあと”もう一人のヘミングウェイ”の生涯が描かれる

10年後に出版された「武器よさらば」で

10年前の夢を成就しようとしたのか

彼のこころは整理されたのだろうか

あるいは

アグネスに何かを伝えたかったのだろうか

 

心から信じていたアグネスが去っていった

若いヘミングウェイを打ちのめしたこの苦渋が

彼の芸術性を高めたという

彼らはイタリアで別れて以来一度も会うことはなかった

こんな体験をすることが

幸せなのか そうでないのか

胸の痛む思いが残った

 

 

オリンピック

毎日たのしかった!

やっぱりメダル取ってくれたからかな

水泳 体操 柔道 レスリング バドミントン・・・

 

最大の快挙は400mリレー!

南アフリカを破った日本ラグビーの歴史的快挙に匹敵するかな

短距離走は日本人には無理との”常識”を覆した

いつ9秒台が出るか 楽しみ!

 

スポーツっていいな

 

都知事選、都政の懸案事項は共通のものも多いが

その財源の出所など拠って立つところを考えれば大違いだ


大企業は減税で莫大な内部留保金を抱える一方で

社会福祉のために消費税増税が必要という

ここに大企業の番頭と言われる自民党の体質がよく表れている

まずは大企業の利益 

これは譲れない

国民のための予算は二の次、三の次だ

大企業がもうかれば

国民にも余禄が回るというわけだ

そのさじ加減が目に余るところまで来ているように思う

実際 貧富の格差は拡大し 貧困問題が深刻化している


最近 

「アホノミクス完全崩壊に備えよ」(浜矩子著)を見た

強い経済を希求する安倍首相

その不純な動機(国民のためではない!)は

われわれ国民にとって危険極まりないのだが

それが明快に指摘されていて興味深い


さて

自民党推薦と推薦漏れのふたり

大きな期待はできないだろう

というより その限界が目に見えるようだ

自民党政治の枠からはみ出ることはできないだろう


女性候補はどっぷりと自民党政治に浸かった

典型的な自民党体質の”政治家”と見える

まったく新鮮味がない

おまけに核武装論者のようだ


男性候補は”人柄”に好感がもてそうな気もする

でも大きなところで枠内からはみ出られそうにない

「彼の思考」<「自民党政治の枠」


野党統一候補の

”強いものの立場には立たない、弱い者(=一般都民)の側に立つ”

の言にこの辺の事情が良く表れている


都政と国政は深く関わらざるを得ないだろう

この国のあり方がここでも問われているのではないか

自らの側に立つ候補者を見極めたい