ウィーンに着いてすぐ
子供たちの学校のことで走り回った。
ある方の伝(つて)で
ハイリゲンシュタットのハオプトシューレ(中等学校)に通うことになった。
子供たちは
ウィーン西駅から地下鉄6号線、市街電車 D 線と乗りついで
学校に通った。
さすが中立国オーストリアの首都だ。
東西入り乱れての国際色豊かな学校だった。
授業料はなく、教科書、ノートなどは支給された。
通学定期は確か夕方4時半くらいまで有効だったが
これも支給された。
土日には
子供たちはウィーンのかなり広い範囲で
国鉄をはじめ市街電車などの交通機関に自由に乗れた。
たった半年間滞在する外国人の子供たちを
自国民と分け隔てなく手厚く保護するこの国のあり方に
ほんとうに驚き、感動を覚えた。
あるとき
ウィーンからドイツへ出かけた。
オルデンブルク、イェーナ、キールを廻った。
イェーナ (Jena) は旧東ドイツ領で
かのレンズメーカー、"カール・ツァイス"の本拠地だ。
文豪ゲーテやシラーがこの街に住んだ。
ゲーテにはこの街のあちこちに若い愛人がいた、と
ここで会った P 氏が言っていた。
シラーはあの「第九」のテキストとなった詩の作者だ。
かつてこの街の大学の学長を務めたそうだ。
由緒あるこの大学は、彼の名を冠して
フリードリッヒ・シラー大学 (Friedrich Schiller Universitaet)
と呼ばれている。
そう言えば
ウィーンのリンク通りにこの2人の立像が並んでいた。
その帰途
ベルリンから夜行列車に乗った。
列車がオーストリアに入り
見慣れた山々が車窓に現れたとき
不意にほっとした気分になった。
"私たちを守ってくれている国"に戻った、と感じた。
いつの間にか
僕の心の中にそんな感覚が芽生えていたことを
このとき知った。