クロイタンスEMのブログ

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SwedenのL訪問後

ヴィーンに来た

友人W.Sがすべて世話をしてくれた

ここに半年間住んだのは随分昔のことだ

街や地下鉄が一段ときれいになっている

快適でほんとうに素敵な街だ

 

3月にもPolandの帰路 4日間ほど滞在したのだけど

今回は8日間

ちょっと落ち着く

昨日 メインの仕事を終えて

ようやくストレスから解放された

 

Hotel はW.Sの秘書Aが手配してくれた

地下鉄4号線(U4=ウー・フィア)のロサウアーレンデ(Rossauerlaende)から徒歩2,3分

自分では予約しないようないいホテルだった

 

着いたその日の夜 偶然そのレストランを見つけた

ホテルのすぐそば

古くて有名なレストランだと

ウェートレス(Fraeulein=フロイライン)が教えてくれた

 

今日 ランチタイムに行った

もう3回目だ

ランチの定食(メニューといいます)とソーダ・ツィトローネ

そしてライトゥングス・ヴァッサー(Leitungswasser=水道水)をとった

ふたりで 20.60ユーロ

きょうのウェートレスは初日に居た人だ

つねにニコニコ 愛嬌全開

 

初日は食べ終わると 夜11時を過ぎていた

すると彼女がやってきて

「もうカードで支払いをしたい?」

と言ってきた

相棒のウェートレスとみんなで笑ってしまった

で 今日は

「どうして僕たちの気持ちが分かったの?」

と言ったらケタケタと笑った

 

その後 ドイツ語英語を織り交ぜて料理の説明

折に触れて

「すべてOK?」

と聞きに来てくれた

 

ところで

Swedenで会った友人(親友)L (Polish) は

joke (black) の達人だ

彼は かつて息子さんとの会話で

ドイツ人のことを

「Zwei und zwanzig (ツヴァイ ウント ツヴァンツィヒ)」

と呼んだそうだ

「2 と 20」の意味=22 だ

このドイツ語独特の数の読み方を代名詞にした

 

さて 支払いの段

20.60ユーロ

習慣に従って 端数繰り上げ

そして+アルファ

カード決済は

”ツヴァイ ウント ツヴァンツィッヒ”

と相成った

 

7月15日・16日と東京交響楽団定期演奏会に行った

(サントリーH改修中のためいずれもミューザ川崎)

細川俊夫 嘆き

マーラー 交響曲第2番「復活」

指揮 ジョナサン・ノット

ソプラノ 天羽明惠

メゾソプラノ 藤村美穂子

東響コーラス

 

15日のマーラー凄すぎた

開始前からホ-ルにいつもと違う雰囲気が漂っていた

何といってもノットとオケの無尽蔵?の気迫に気押された

すさまじい最強音は崩壊寸前?のすごみがあった

木管群の美しさと相まって

壮絶な名演になった

何度も涙を抑えきれなくなった

 

金管に小さな傷があったのだが

全く気にならなかった

推進力の凄さに

耳を(目を)奪われた

会場全体が圧倒的な感動に包まれた

 

いつかのニッケイの東響CD評(ブルックナー8番)に

「日本のオーケストラの限界を超えた」とあった

即座にこの表現を想起した

多くの聴衆の心を揺さぶり

感動のるつぼに巻き込んだ

日本のオケはみな上手く世界的にも一流のレベルにあるのでは?

でも

聴衆をこれだけの深い感動に引き起む演奏にどれだけ出会えるだろう?

 

一段と完成度を増した16日の演奏

このコンサートに巡り合えた幸せをかみしめた

どなたかのツイッターから引用:

終演後

「素晴らしいい演奏 感謝です」

とソリスト藤村美穂子さんに伝えると

「今日のこの演奏を聴きにいらっしゃったことは

とても幸せなことだと思います

こんな演奏をまたやれ と言われてもできません

私も歌いながら感動して泣いてしまいました

こんなことは初めてです」

と返答されたそうです。

 

評論家の広瀬大介氏の感想から引用

「やさしさと温かさを感じるマーラーの「復活」 

というのが第1印象でした

ノットは楽団員に表現の多くをゆだねていました

あそこまで信頼され 解き放たれ

ともに歩む姿勢を見せてくれる指揮者に巡り合えたオーケストラは

幸せですね

これまで聴いたどの「復活」とも違う

そして本当の意味で曲の神髄に迫る

新しく生まれた人と人の絆を感じさせる稀有な演奏会であった

と思います

これから東響はノット監督とどこまでの高みに至ることでしょう

秋以降も期待に胸はずみます

どうかこの道を歩み続けてほしいと願わずにはいられません」

 

さて

今週末はノット指揮でストラヴィンスキー「春の祭典」だ

うーん また「奇跡」?に巡りあえるかな

ドン・ジョバンニの翌日は

同じくフォルクスオーパーの喜歌劇「こうもり」を見るのが

当初の予定だった

大好きな「こうもり」は見逃せないと思っていた

でも出発前に

ウィーン・シュターツオーパー(国立歌劇場)の

「アラベラ」(リヒャルト・シュトラウス)に変更した

 

これが素晴らしかった

オーケストラピットのウィーン・フィルハーモニー(実質的に)は元より

歌手陣が素晴らしかった

みな声(音)がパリッとしている

飛び切り良いヴァイオリンの響きと相通じるように感じた

とくに主役のソプラノ(アラベラ)

彼女の凛とした美声にずっと酔いしれていた

 

以前 出張で半年間ここで過ごした

シュターツオーパーには何度も出かけた

でも

今回の印象はその記憶とまるで異なるものだった

改めてこの劇場の実力に触れた思いがした

 

さて

ウィーンのS氏との打ち合わせも終えた

明日は帰途に就く

ウィーンはポーランドでの仕事後の第2ラウンドで短い滞在だ

行く先々で見た景色は

遠い記憶の奥から香しい思い出を蘇らせた

時間の不思議とこころの幸せを思わずにいられなかった

 

十数年ぶりのウィーン・フォルクスオーパー 

ドン・ジョバンニ(DJ)だった

舞台は予想を翻して斬新 奇抜

指揮者が出てくる前に もう始まったらしい

登場人物がうろうろし始めた

みんな白塗りで最初は誰が誰だがわからない

 

黒づくめのスタッフが演奏中に

スタスタと舞台を歩き回ったり通り抜けたり

舞台装置や小物などの配置を整える

「歌舞伎の黒子」の役回りか

見ているうちに

本質的でないものすべてを捨て去った合理性を感じていた

 

しかし どう見ても美しくない

こちらが違和感を抱えたまま 舞台は進む

 

歌手陣は全体的に良かった

とくに ドンナ・エルヴィラ

これまでのイメージから飛び出した

ぐっと中心的主役の感じ

ツェルリーナ 愛嬌があって歌もよかった

ドン・ジョバンニは

周りのレベルからして もう一つ抜け出た感じが欲しかったかな

とくに地獄に落ちる場面での絶叫

レポレロは見ごたえがあった

 

オケの響きはまろやかで素晴らしかった

以前とは一味も二味も違った印象

でも 連れはウィーンらしさが引っ込み

標準化の方向か といった

 

さて

ここは フォルクスオーパー

ドイツ語で上演する劇場として創設された

ドン・ジョバンニ(イタリア語の歌詞)のドイツ語版を初めて聴いた

ドン・ジョバンニやドンナ・アンナを聴いていて

このモーツアルトの音楽はイタリア語で最も良く響くように

また歌いやすいようにできているのかもしれない

などと思いを巡らしていた

 

ドン・ジョバンニを

騎士長の亡霊が地獄の晩餐へ誘う

意地でもNOといわないDJには

人としての一種の性を感じて

いつも目頭が熱くなる

緊迫感がぐっと増して劇場が恐怖の渦に包まれる

圧倒的なエンディング

悪党が地獄に落ちて一件落着

ソリスト全員でめでたしめでたし 

 

このシーンはなぜが

舞台がリストランテ「ジョバンニ」に様変わり

レポレロやツェルリーナが両サイドから

客席におりて客を誘う

何人かが

リストランテ「ジョバンニ」の客となり

登場人物と会話を交わしながら

幕を閉じる

 

いや 幕は下りなかった

カーテンが下りないから

カーテンコールもない

何度かの拍手の後

自然に終わった

というべきか

いずれみな居なくなった

奇抜な演出にも

最後には納得してしまった感があるから不思議だ 

 

レストラン「ワイマール」で軽食をとって

ショテン・トーアまで歩いた

まだ寒いのだが冷たい夜風が心地よい

 

 

今年は随分たくさん 素晴らしい演奏を聴く機会に恵まれた

感動を書き留めたいと思いつつ

多忙さにかまけてパスしてしまった

 

新年は

ベートーヴェン:「英雄」 8番(ノット)

など 今から楽しみだ

ノットのベートヴェンは聴き逃せない!

 

ところで

「音楽の友」12月号表紙を飾るノットのインタビュー記事

「献身的に演奏する東京交響楽団に

言葉では簡単に表現できないほどの

愛を感じるようになりました」

 

ノットのこの言葉に思わず感じ入ってしまった

彼の音楽監督就任当時 

メンバー(知人)から聞いた言葉を思い出した

「ノットとの演奏に心から喜びを感じる」

演奏会のたびに

オケ全体がノットに応えていこうとするひたむきさを感じたが

ノット+東響の演奏から受ける感動の原点が

ここにあるのではないか

新年への期待は高まる一方だ