みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

みんなに教わる介護情報伝道師ぬけが行く

妻の起こした介護情報提供サービスをサポートしながら『介護はXデーが来る前に準備をしておかなければ経済的にも精神的にも大きな損をする』という持論を私は持ちました。それをいかに社会に伝えるかを模索し、その実現するための学びや行動を記していこうと思います。

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見たこと、教わったこと

介護保険のペナルティといっても、要介護者や家族に対しての話ではありません。

あるSNSのケアマネさんの書き込みを読んでいたら

『集中減算』という文字に目が行きました。

ケアプランを作成する際に、一か所の事業者に介護業務が集中することを回避するためにある制度だとは一応知ってはいましたが、詳細までは調べたことがこれまでありませんでした。

そこで改めて情報収集することにしてみました


新たに知ったこと、考えたこと

あらためて検索をかけていくつかの文章を読んでみました。

もっとも容易に書かれていたのがこのブログでした

その核の部分を書きだすと「「特定事業所集中減算」とは、ケアマネジャーの利用者の抱え込み(併設事業所のサービスを使わせる)のを防ぐために、
・「通所介護(デイサービス)」
・「訪問介護(ホームヘルプ)」
・「福祉用具貸与」
の3つのサービスについて、
そのサービスを計画した数の90%を超えると
ケアマネの報酬を下げますよ、というものです。
(100件中91件以上に偏ると減額)

とのこと。

ペナルティは『ケアマネさんの持ち件数×200単位×6ヶ月の減算』 (1単位=10円)
つまり持ち件数30件のケアマネさんが違反すると 30(件)×200(単位)×6(カ月)×10(円)= 360.000円/半年 の減収ということになってしまうわけです。

単位についてはこちらのリンクを参照ください。

ちなみになんで上記3サービスなのかについては、このブログのコメント「医療系サービスについては「医師の指示」の基にサービスが提供されるために適切な判断に基づいてサービス提供されるため、利益誘導のような囲い込みが行われるはずがない、というのが表面的な理由実際は医療系サービスの囲い込みを問題にするとバックからの圧力が強くなり怖いから、というのが本当の理由(と思っています)。」の後半部分が真相ではないでしょうか。


一方、SNSでは「わずかな超過ですが、半年間の減算額を試算したらかなりの金額になりました・・・県にありのままに報告しようと思いますが、同じような経験お持ちの方、アドバイスを」とあるのに対して以下のような回答が。

正当な理由については厳密な決めがあるわけではないので、行政側担当者の心を動かす(?)ことができれば回避できるかも…」や「実際、地域的に見てもこのデイしか近くにないし…10年以上ここでやってるし…昔から利用していて馴染みがあるし今さら通えなくなるのは困るって利用者から… みたいな事で、免れてますよ。」という回答がありました。

ということはペナルティを免れるような要件があるのだと調べてみるとこうした記事が。頭が痛くなるような文ですが、しっかり読み込むと要するに抜け道は意外に多いということ。

それ以外にも、ケアマネさんの多くが施設所属であることから、あえてペナルティを被ることを覚悟で自分の施設に囲い込んでいる方も多いという書き込みも随所で見られました

善意の目で見れば、ペナルティの決まりは、上限値を定めることで、あえて超過分を消化するためにケアマネさんに外部の施設の知己を増やし、より充実した介護を目指すと言えます。一方例外要綱は、地域に限られた施設しかなく、致し方のない場合などを想定して策定しているといえましょう。

しかし、当然のごとくそれを逆手に取る事業者もいないとは言い切れないようです。こうした振る舞いが結果的に介護のサービスを低下させたり財源の無駄遣いにつながったりすることは言うまでもないことだと思います。

認知症患者などの介護環境を何曜日は施設A、別の曜日は施設Bというように変えてしまうことは精神の不安定要素になるので避けたほうがベターなケースもあるかもしれません。しかし変えても問題のない分野については競争原理からサービス提供者の質を上げ、利用者の視野を広げるという観点からも推進すべきかもしれません。そうした意味からもサービス提供者だけでなく一般の利用者、家族もこうした制度があることを知っておいた方が良いと私は思います。


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見たこと、教わったこと

昨今は認知症に関する勉強を少しずつ進めている毎日です。

認知症というととかく「○○ができなくなった」とか「○○がおかしくなった」というように健常な時に比べてマイナスの部分にどうしても目が行きがちです。テレビなどのマスコミもインパクトのある扱いを求められることからそうした部分をクローズアップせざるを得なく、どうしてもイメージ的にマイナス面を刷り込まれがちになっています。

しかしケアの世界では。必ずしもマイナス面を追うべきではない。むしろ『その人の失われていない、残された能力を活かすことが大きな意味を持つ』という考え方が主流になっています。

現に訪問した施設で「近所の人が利用者さん(認知症患者)に漬物のつけ方を教わりに来るんですよ」などという話も耳にしています。

また、以前聞かせていただいた認知症患者の戸田さんのお話も、理路整然としていて、認知症の方が普段どのような考えをお持ちで、何を楽しみ何に苦しんでいるのかを明確になさってくださいました( http://ameblo.jp/nuke777/entry-10789894480.html )。戸田さんはそんなにお話が上手でも、衣服の選択や着脱、物のありかの失念など認知症の症状は着実にお持ちなのです。

他に何か明確に一般の皆さんに『認知症患者でもできること』を明確に理解いただけるものはないかと考えてみました。


ありました。

前回のブログでも紹介しましたが、写真deぬり絵を紹介してくださった株式会社QOKサービス社が主催しているぬり絵コンテストの作品がそれです。

http://daybook.jp/Nuri-con/nurie-con04.html

グランプリ作品の作品の繊細なこと。それは一流の芸術家の作品に比べれば粗も存在はしますが、作者は一塗り一塗り色彩とバランス、強弱に細心の注意を払いながら塗ったことと思います。



新たに知ったこと、考えたこと

デイサービスに通われている方などの作品ですから全員が全員認知症患者というわけではありませんが、昨今デイサービスに通われている方のかなりの割合が認知症にかかっているというデータもありますし、そもそも高齢にもかかわらずこれだけの色彩感覚、集中力、創造力は素晴らしいと思います。

まさに『その人に残された能力』を十全に使った作品であることがひしひしと伝わってきます

こうした残された能力を発表する場を提供し、多くの人に知ってもらうということはとても意義のあることだと思います。当の作者たちも公に発表され、優秀な作品を表彰してもらうことにより生きがいを感じられる方も多いのではないかと思っています。

ただ、認知症患者であってもこうした能力があることを知っている人、こうした発表の場があることを知っている人はまだまだ少数です。

それをもっと多くの人に知ってもらうことができたならば、よりぬり絵を生きがいを感じながら楽しむ人が増えるのではないかと思っています

家内の会社の提供サービス『写真deぬり絵』を活用することでそうしたことができるのではないかと、まだおぼろげな着想ながら考えがまとまりつつあります。それが実現できるように私も努力をしたいなと思っています。



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見たこと、教わったこと

家内が立ち上げた介護情報提供サービス「株式会社ハートバード」では活動の一環として昨年、施設、事業所で無料で使えるアクティビティ提供サービス『写真deぬり絵』を開発、リリースしました。

そのサービスが株式会社QOLサービス社が出版している「月刊デイ」というデイケア、デイサービスサービスの職員の方などを主なターゲットする雑誌の5月号に1ページカラーで紹介されました。とてもわかりやすく写真deぬり絵の魅力を伝えていただいています。


新たに知ったこと、考えたこと

これは日ごろアクティビティの素材探しが大変だという現場の声を生かし、デジカメなどで撮影したりスキャナでPCに取り込んだ写真ファイルを、ソフトをインストールすることなくブラウザ上で3ステップでぬり絵に加工するサービスです。

サービスは http://nurie.me/ というアドレスをPCでご覧いただき、1、デジカメなどで撮影した写真ファイルの場所を指定、2、「ぬり絵」ボタンを押す、3、「印刷」ボタンを押す、という3ステップで写真をぬり絵に変換できるものです。

あまりPCに詳しくない方でも、データの所在を指定するスキルさえ持っていれば、難しい設定など無しに短時間でぬり絵にできるようにしたのが特徴です。

よく言われるのが、画像ソフトなどで同じことができるのではないか、という意見です。まさしくその通りでそこそこの機能を持つソフトなら同じことができます。しかしそれを実行するにはソフトのインストール、そして詳細な設定などPCに対するそれなりの知識やスキルを必要とします。それに画像の加工に時間がかかってしまう側面もあります。日ごろ利用者の方の世話で多忙な職員の方にとって高度なPCスキルの要件と加工に要する時間がどうしても取りにくいだろう、そうした思いから徹底的に簡単に短時間での加工を可能にするという命題の下、サービスを開発しました。

もちろん無料なのは介護施設、事業所に限った話ではありません。一般家庭、幼稚園や保育所、学校など幅広く使っていただきたいと思っています。そうした際にも簡単で短時間で加工できる点はメリットになると考えています。

写真も自分の写真、お孫さんなどご家族や職員の方との写真、目の前にある花瓶の花、庭の風景、景勝地、乗り物などテーマは星の数ほどあります。その中から適したものを選択すればよいと思います

このサービスを昔の自分の写真などを加工することにより回想法に活用できないか、というアイデアを医療関係の方からいただき、今検証を行う試みも進捗中です。

テーマもとても多く想定でき、また活用法も介護だけでなく、幼児などに対して形をぬり絵を通して認識できるようにする教育分野、また障がいを持つ方の職業訓練などに使えないだろうかという声も頂いています。

いかんせん、家内も私も長年介護分野やこうしたぬり絵の分野にいたわけではないので、考えもしなかったアイデアがまだまだ眠っているような気がします。前述のように利用は無料ですので、興味を持たれた方には積極的に利用いただき、もしよろしければ活用事例やアイデアなどを提供いただければとてもうれしく思います



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見たこと、教わったこと

世の中、震災によるイベントや宴会がことごとく自粛する方向になっています。

こちらの記事にも「東京都の石原慎太郎知事は29日の記者会見で、東日本大震災に関連し、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」と述べ、被災者に配慮して今春の花見は自粛すべきだとの考えを示した。・・・」というような記事が掲載されています。

しかし私はこうした考えと介護の抱える財源の問題と合わせて疑問を持っています


新たに知ったこと、考えたこと

自粛をしているイベントのかなりの数は行政が関わっています。たしかに時節柄都知事が言うように『一杯飲んで歓談するような状況じゃない』というのは理解できなくもありません。しかし自粛したことによってどこにそのシワ寄せが行くかを考えているのでしょうか

イベントを中止することにより、関係者への連絡や依頼したサービスのキャンセルなど行政も手間が増えたことは理解できます。しかしそれにより公務員が残業代が出なかったり、給与が減らされるということはないでしょう

一方そうしたイベントに関わる民間企業はどうでしょう。本来手にできるはずの売り上げは全く入らず、キャンセル料もことがことだけに請求できなかったりしにくかったりして大損になるはずです。現に九州のイベント会社が今回の騒動のあおりを受けて倒産したというニュースも目にしています。

こうして民間へお金が落ちなければ、当然のごとく従業員の収入が減り、所得税が比例して減るでしょうし、企業の法人税も同様になることでしょう

つまり行政の主な支出である人件費は横ばいか増えるかもしれないのに対し、肝心要の収入である税収は落ち込んでしまうのです。それを近視眼的なものの見方で右へならえで自粛してしまっては行政の経済的基盤も脆弱になりますし、被災地への支援に回すことができる税金も減ってしまうことでしょう

果たしてこれが被災地に対しても本当に良いことなのでしょうか。長い視点に立ってみれば到底そうは言えないような気がします。

一方の介護についても、今は基本的に「介護は在宅で」という流れができています。確かに介護者が専業主婦(夫)やリタイヤしたパートナーであれば、それはそれで慣れ親しんだ自宅で介護を受けられる安心感というメリットは大きいと思います。

しかし、現在仕事を持っている人が介護者になる場合はどうでしょう。最初は介護度が低く、勤務中はデイサービスや訪問介護で対処し、それ以外は要介護者に留守番をしてもらうということで対処できるかもしれません。しかし介護度はどうしても高くなる一方向性を持っています。次第に状況が悪くなり、どうしても家族が介護しなければならなくなったときに「介護は在宅で」を無理に推し進められると仕事を辞めざるを得なくなることも少なくないでしょう。

しかも介護は幼稚園の入園や学校への入学というイベントの区切りが明確な育児と違って終わりが読めない類のものです。明日終わるのか数十年続くのかわからない以上、ある程度金銭的蓄えがあってもそれが足りるかどうかわからない不安定なものです。もし不足するようなら生活保護の対象になってしまうということもあるでしょう。

またもし介護は何とか終えることができたとしても、それまでの仕事に復帰するのはよほど休んでいた期間が短期間で無い限り難しいことでしょう。まして昨今の不況の中、それまでと同じ収入を得るというのはほぼ不可能なはずです。

そうした収入減は前述のとおり、納税額に直接跳ね返ります。万一生活保護対象になってしまえば税金で賄わなければならないので猶更大きなマイナスになってしまいます

それならなぜ今、「介護は在宅で」なのか。これまた通所や入所介護に比べると介護保険の支出を抑えられるからにほかなりませんそうした近視眼的な見方によるものなのです。その結果長期的に見たら介護保険の財源である税金収入が減ったり、生活保護で税支出が増えるという悪循環へとつながってしまうのです。

今回の震災による歳入減の対策として公務員の給与の5%程度の引き下げが議論されているようですが、民間の打撃はその程度で済んでいません。近視眼的なものの見方でこれまで述べてきたような長期的な大きな負債を抱えてしまい、後になって取り返しがつかなくなる前に、イベントでも介護でもそれを牛耳ることができる立場にいる人にはもっと長期的な視点でものを考え、決断し、実行してほしいと思います。

一方で、直接こうしたことの決定に携わることができない我々一般人も無碍にイベントなどを中止して経済活動を低下させ、お金の巡りを悪くしてしま鵜ことはないと思います。私的なイベントなどは強行してしまうという決断も必要でしょう。

介護についても、近視眼的に行政から言われたからという理由だけで在宅介護にすることについて、もう少し長期的な視点を持つことが求められるでしょう。確かに施設の利用などにはある程度経済的負担を強いられますが、現在の仕事を続けることで賄えるならば、早々に仕事を辞めるという選択肢は決して賢明であるとは思えません。理由は上記のとおりです。

経済的に不足するようなことがあって入所をあきらめたという話も聞きますが、それも専門家に相談すると意外な方法で道が開けたりします。現に生活保護を受けながら施設を利用している人も多くいるのですから、情報はじっくり時間をかけて探すことが大切でしょう。

今、私が心配していることは現状では大きな問題にはなっていません。そのため行政の方も気軽にイベントのキャンセルを決断したり、介護についても在宅介護を推進しています。一般市民も釈然としない部分は感じながらもそれに従っています。いわばゆでガエル状態になってしまっていると思います。これが財政的に火の車の煮え湯状態ならそんな悠長なことは言っていられないでしょう。でも現状はそこまで逼迫していないのでなんとなく熱いかな?くらいの感覚でみんな徐々に茹ってしまっているのではないでしょうか?

このままの状態を放置すれば間違いなくみんなまとめて茹で死んでしまいます。そうならないためにも気が付いた人からお湯から上がる勇気が必要だと思います。


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見たこと、教わったこと

タレントで画家の城戸真亜子さんが介護について下記のインタビューが掲載されていました。参考になると思いますので転載したいと思います


城戸真亜子が激白…独自方法で介護と絵画両立!サポート方法は

突然の介護。それは芸能人にとっても例外ではない。タレントで画家の城戸真亜子(49)は、壊れゆく義母の記憶と生活を“独自の方法”で守りながら、絵画も続けている。

 城戸の介護は、2004年7月に始まった。義父が倒れ入院したことがきっかけ。動揺をぐっと抑え、認知症が進み新しいことが覚えられない義母のために、「トイレ」「電気のスイッチ」「お風呂場」など大きなメモ書きを部屋中に張った。

 「小川洋子さんの小説『博士の愛した数式』の中で、博士が記憶が失われるときに、メモを活用していたのを思い出したんです。記憶に留まらなくても、文字を見ればわかりますよね」

 同居2日目に絵日記を書き始めた。義母が見て、忘れてしまった出来事もわかるように、と「楽しかったこと」「嬉しかったこと」などポジティブなことを綴る。

 1922年生まれの義母は、お茶やお花の免状を持ち礼儀正しく、着物姿も艶やかだったという。認知症が進行して、洋服も1人では着替えられない。夫はそんな母親を見て落ち込んだ

 「嫁という立場には、実の息子よりもお義母さまに対して距離がある。客観的に見ると、素直な笑顔や会話をするお義母さまが愛おしい。とってもかわいらしいのです。少し距離を置くことで、その人に対するストレスは緩和されると思います」

 城戸は介護を「たいへん」とは思わず、「愛おしさ」を感じながら、着替えや食事、入浴、歯磨きなどのサポートを続けている。実母に複雑な思いを持つ夫は、城戸を手助けする側に。そして、ねぎらい、息抜きにも協力してくれるそうだ。

 基本的に「楽しいことが大好き」という城戸。介護の一方で、作品へのイマジネーションをいつも高めている。最近のテーマは「水」。

 「人が水に飛び込んだときに、水面がぐちゃぐちゃになって、肌の色が細切れになって見えたんです。一瞬、残酷な感じが心に残りまして。時間が経つうちに、水に再生と破壊をイメージするようになったのです」

 開催中の個展では、水=水色の固定観念を崩して、オレンジ色で表現している作品もある。

 「身内が3人亡くなって般若心経を聞いたときに、水のように心の中に溢れてきたんです。面白いなぁ~って思って。人も水も破壊と再生の繰り返しですが、そういう中で温かさを表したかった。作品では、既成観念を崩すことが大切ですから」

元記事はこちら


新たに知ったこと、考えたこと

先日参加したある認知症の会合でも同じようなコメントがありました。それは「嫁だからこそ距離を置いて認知症患者である義母に向き合うことができた」というものでした。

近親者ではどうしてもあの立派だった父(母)が、どうしてこのようになってしまったのかとその差に戸惑うことも多いと思います。それに対して義理の関係だと城戸さんのように少し醒めてみることができる分、余裕を持った見方、対処の仕方もできるのではないかと思います

これは義理の関係だけでなく、介護をプロに任せたときにも言えることではないでしょうか。前述のセミナーでは、今では介護のオーソリティである方でさえ、認知症の母親の姿にうろたえ、ミスを叱り飛ばし、暴力さえふるったといいます。それならば日ごろの対処はプロに任せ、心の余裕があるときに限ってコミュニケーションするという方法も十分に意味があることだと思います。

または見方を変えて、まだ近親者に介護者が存在しない余裕があるときにボランティアとして介護に関わっておくのも良いことだと思います。認知症について単に本やウェブから文字情報だけの知識を得るだけでなく、自分の目と手で直に触れ、感覚的に認知症について学ぶことは、いずれやってくるかもしれないXデーに対しての心の準備になると思います。またこれは他人の介護ですから、十分に距離感を置くことができますし、城戸さんのような何かしらのインスピレーションを得ることもできるかもしれません。

いずれにせよ、今は介護現場と一般社会があまりにかけ離れてしまっているのが現状です。それをもう少し近い関係に改善することがこれからの高齢化社会をうまく乗り切る一つの対策になるのではないかと考えます。



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先週の東北関東大震災以来、被災地の悲惨な状況、そしてまだ明らかにはなっていないものの今後やってくるに違いない様々なネガティブな予想の毒気にすっかり当たってしまい、ブログを更新する気力がストンと失せてしまっていました。

しかし、いつまでもうだうだしていても状況に何ら影響を及ぼすわけもなく、かえって状況は悪くなるだけでしょうから、少しずつ復帰していこうと思っています。

私の実家は千葉と埼玉と東京の境辺りにありますが、幸いに人的被害はなく、物的被害もそう大きくないようです。ただ新宿に放置してあるマンションは倒壊などはしていないでしょうが、内部がどの程度被害を出しているかまったくわかりません。

マンションの斜め前にあった新宿文化センターの看板が倒れていた写真を見たときには目を見張りました。もっともこの看板は副都心線の工事のために数年間倉庫入りしており、一昨年再び元の場所に設置されたものなので、その際にやや工事に不備があったのかもしれません。

マンションの部屋は9階にありますが、一応つっかえ棒をしておいたので家具が倒壊などはしていないのではないかと思います。ただ冷蔵庫のドアが開けっ放しになったりしていたら電気代が・・・おまけに今のところあの辺は停電していないようですし・・・。なんていうのは本当に被災された方から見れば小さなものだと思っています。

以前、新潟地震の際には家内は出張か何かで家におらず、一度目の地震は私も外出中。二度目の揺れの時はテレビを見ていて「今、こちらは大きく揺れています」と新幹線の脱線現場のアナウンサーの声にあわててテレビ台を押さえていたら間もなく大きな揺れ。それとともに起きたことは・・・慌てふためいたうちのおバカワンコに足を噛まれていたという泣くに泣けない事態。誰がお前がつぶれないようにテレビ台を抑えているんだ!と思いながら負傷したことを思い出します。

今回はほとんど地震というものがない岡山にたまたまいたので難を逃れましたが、もし前回と同じシチュエーションならもっとすごいことになっていたかも。または本当に家具が倒壊して私かワンコが下敷きになっていたかもしれません。そうした意味ではラッキーでした。

西日本では関東、東北のようにガソリンや物が不足しているということは一部商品を除いて今のところありません。他県同様、空いている公営住宅に被災された方の入居を受け入れることも始まるようです。また今日たまたま出席していた介護事業所職員の集いでは事業所に被災者を受け入れる際の特例について行政側から説明がなされていました

認知症などは環境の変化に大きく影響されるといいます。もし彼の地からこちらにいらした時に環境の大きな変化にかなり戸惑うことと思います。介護職もプロ故その影響を最小限に食い止めるように努力はすると思いますが、精神的ショックは少なくないでしょう。今後、どの程度の方がこちらにいらっしゃり、どの程度の方が残るのか。残った場合復興はどういうプロセスを経るのか全く不透明です。

かといって、後ろを向いていても震災前の状況になるわけではありません。ならば前を見据えてできる限り良いと思われる方向に進むのを待つのではなく、進むように微力でも動くことだと思います

自分でも戸惑うほどに文章がまとまりません。でもこれも一過性と信じて、ゆっくりでも前に歩みを進めることにしたいと思います。

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見たこと、教わったこと

認知症に対する新薬が承認されたことは、ニュースが出たときから存じていました。

しかし、ニュースではどのような症状に合うのかなど詳細は記載されていなかったので、承認・発売されるというくらいの認識で止まっていました。

それが先日「倉敷平成病院だより」というブログの『新しい「アルツハイマー型認知症治療薬」について』という記事により詳細な情報が掲載されていました。

その中の『 「メマリー錠」は、「アリセプト錠」と異なるメカニズムを有し、中等度、高度のアルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制に適応があります。』という部分に目が行きました。

これまでのアリセプトが、できるだけ早期であれば効果はそれに比例するが、症状が重くなると効果が低減してしてしまうことは知っていました。義母ももはやその効果が期待できない程度になってしまい、また服用するとやや行動に異常が見られるので半年前に服用を止めていました。

今回は中、高度であっても効くらしい、そんな話を家内にしたところ、新し物好きの性分も手伝って、さっそくかかりつけ医に投与をお願いする連絡をしたようです。

それに対する応答が昨日病院からありました。それを家内はTwitterにこのように記しています。「今朝、認知症ママゴンが通うクリニックから電話。認知症の新薬「メマリー」発売に合わせてママの受診日を3/19にしたが「その日には付近の薬局では入荷が間に合いません。1~2週間ほど後になります」とのこと。まあ田舎だし仕方ないかと思っていたら・・・」 でいったん途切れ。

しかし事態が好転「昼頃、認知症ママゴンが通うクリニックから、また電話があった。「3/19にメマリー間に合うようにしました。ご家族・ご本人の希望があれば、積極的に新薬を使っていきたいと思いますので、ぜひ3/19にお越しください」と。」ということになったようです。

というわけで今月発売早々の新薬を試すことになった義母。効果のほどが楽しみでもあり不安でもあります。


新たに知ったこと、考えたこと

これまで認知症に効き、かつ承認されていた薬はアリセプトだっただけに、新薬がいくつも登場したことは患者や家族にとってはとても期待が高く、喜ぶべきことと思います。

今回は上記のニュースに加え、新たに貼り薬タイプも承認されたとのことです。

これまで服用タイプのみでしたが、認知症の患者にとって薬を飲ませるというのは非常に苦労する作業であることは家内と義母との間で毎回起きる「薬を飲んで!」「飲まない!」というコントのようなやりとりを目にしていてよくわかっています。それから解放されることも家族にとっては朗報でしょうし、いやいや飲む患者にとってもそうでしょう。

もっとも貼るという行為も別な意味では大変だと思います。ただ、いずれにせよ選択肢が広がったことは家族にとって朗報だと思います。

医薬の承認は生命がかかるだけにそうそう時間の短縮はできないことは理解しています。しかしあまり意味のない部分に時間をかけたりしている部分も多いと聞きます。さらに承認したにも関わらず副作用の事故が起きても、国として明確な責任を取らないこともままあるならば、承認をもう少し簡略化して、代わりにリスクの明示化を徹底する方法に緩和してはどうでしょう。その代わりに一部は利用者の自己責任の下での使用を認めるというやり方もあるのではないかと。

少し突飛な考え方かもしれませんが、あまりに審査に時間がかかるが故に、藁をもすがりたい思いの患者や家族が得体の知れない、そして薬ともいえないものに手を出してしまう事態も起きています。それに比べれば決して突飛とも言えないのではと思っています。

まあこれは理想論として、今回の比較的早い承認の裏には海外ですでに承認され普及しているという実績が大きな存在として挙げられるようです。そうしたことを今後は先例として様々な新薬の早期普及を願いたいと思います。


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見たこと、教わったこと

今回紹介するのは、180万円で小規模デイサービスを開業・運営・成功させ、そのノウハウもビジネスとして提供している「あんしんケアねっと」という組織のブログです。

今回テーマにしたいのは低額でデイサービスを提供できる部分ではなく、『デイサービス 選ばれなければ未来はない!』という記事です。

記事によると、組織がある大阪の守口市では各施設の定員に対し要支援・要介護の認定者および利用見込み者が下回る定員割れの状態に達しているといいます。

それにより今後は利用者や家族が施設を選ぶ時代になり、積極的に施設の見学を、体験を行うこれまでの「入れればどこでも」から「どうせなら良い施設で」へと意識変革が起きているとも記しているのです。

記事中にはそうした過当競争を嫌う風潮が業界にはあるけれど、結局は選ばれなければ未来はない、自然淘汰・適者生存の時代が始まったと結んでいます。


新たに知ったこと、考えたこと

介護業界もビジネスである以上、過当競争を嫌うなどとぬるいことは言っていられません。そうしたことを許容していては結局サービスの質の低下に陥るだけでしょう。

介護業界に先立ち、十年以上前にこれと似たような状況に陥り、サービスの質が大幅に変わった業界があります。それは歯科医業界です。

ご存知の方もおられるかと思いますが、歯科医の数はコンビニの数よりも多く、完全に過当競争の状態に陥っています。私が子供のころは待合室で数時間待ちだったのが当たり前の状態でした。それが今は予約制をとっているにしてもほとんど待ち時間はなく、また1回にかける時間も昔とは比べ物にならないほど長くなっているのはそうした状況によるものでしょう。

ところで歯科医をはじめとする医療機関は患者が自分で選択して相手に出向くことができます。しかし介護の世界はそうはいきません。ケアマネージャにケアプランを作成してもらい、その中に利用する施設を入れてもらわなければならない構造になっているからです。

それではケアマネージャに希望する施設をリクエストして、と簡単にいくかといえば、そうでもないのです。

なぜなら日本の現状では多くのケアマネージャは様々な介護施設に所属しているケースが多く、給与もそうした施設から受け取っています。そうなるとどうしても所属する施設がビジネス的にうまくいく必要が生じ、まずは自分の施設を埋めなければならないということになるからです。

よくSNSなどでケアマネージャが「私はAさんにはBという施設が合っていると思っても、まずは自分の所属する施設を埋めなければならず、そのジレンマに苦しんでいる」というような書き込みを目にします。ケアマネージャもそうした制度に苦しんではいるのですが、やはり自分の立場や生活を考えると悩みながらも自分の施設へと導いてしまいがちになるようです。

行政もそうした矛盾や問題に気づいていて、一定の利用者は所属施設外の利用を促すようにはしています。でも根本的な問題解決には至っていないのが現状です。

それでは、解決の方法はないのでしょうか。

いくつか解決方法は存在すると思います。そもそもケアマネージャは利用者や家族が指名するものです。ですから事前に入りたい施設を明確にしておいて、その希望を叶えてくれるケアマネージャを選択すればいいでしょう。数は少ないながらも施設に所属しないフリーでケアマネージャはをしている人もいます。そうした人に問い合わせをしてみたり、施設に所属していてもリクエストに応じてくれる人もいます。そうした人を探し出すことです。

「それは大変」「面倒くさい」と思われるかもしれません。しかし介護の必要性が生じるXデーが来てしまってから施設を見つけ、それを利用させてくれるケアマネージャを見つけるのは時間的、精神的制約から容易なことではありません。だからXデーが来る前に施設だけでも目星をつけておくことが大切なのです。

自身、または親御さんが今後施設の利用が予想されるならば、健常なうちに暇を見つけて近所やネットなどで評判を聞いたり、それに基づいて実際に見学や体験利用をしておくことです。確かに時間をとられますが、それを怠ってXデーが来てからあたふたと探し、結果利用者に合わない施設を利用して状態の悪化が進んだり、そうした利用者を連れて施設ショッピングをする苦労を考えれば、決して損にはならない行動だと思います。これは見方を変えれば将来の投資ともいえるのです。

幸いに利用する状態にならなければそれはラッキーですし、せっかく見学などで時間を費やしたのならばそれを口コミやネットでオープンにすれば、誰かがそれを目にして役立ててくれると思います。情報はビジネスだけでなく、こうした生活の効率化にも役立つものです。それはレストランやホテルを口コミサイトで多くの人が検索していることからもわかるでしょう。それを介護の世界にもあてはめて、多くの人が遠回りや損をしない状況にしたいと私は考えます。



また一つ新たな情報を得て、思いをまとめることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。


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見たこと、教わったこと


このブログの内容は同じものをいくつかのSNSサイトに併載しています。あるSNSサイトの掲載分で特養の介護スタッフとして働く方からコメントを頂きました

コメントいただいた記事は『病院の夜間 なぜ母は長期入院を嫌がったのか』です。

内容は以下のようなものでした。

認知症の利用者さまの昼間の顔と夜間の顔が違うので、その中で入院されてる方の気持ち、よく解ります。

ただ、日記を読んで まず感じたのは家族の都合とかで、そんな簡単に入院させてくれる病院があるんだぁ……です。

施設には、受診や緊急時などに協力してくれる、かかりつけの病院がありますが、その対応にガッカリさせられることが多々あります
施設の看護師の話だと、受け入れてくれる病院は なかなかないから気を使わなければならない。
儲からない、治療の対象にならない高齢者を診てくれるだけでありがたいと思わなきゃならない
、だそうです。

私は 末端の人間ですし、勉強不足もあるので その辺のしくみについて 詳しく知らないだけなのかもしれませんが。

死亡率が上がると病院の評判が落ちるから…と、状態の悪い患者さんを療養型の病院に転送したり、いつ急変するか分からないような利用者さまを施設に返したり、日頃のケアで予防してきたのに キズだらけだったり、褥瘡ができてたり拘縮がすすんだ状態で退院してきた利用者さまを見ると 憤りを感じずにはいられません
病院と介護施設では 視点が違うのは 解っているつもりですが……

日記の病院が、どんな背景で社会的入院を受け入れているのか分かりませんが、コメントしながら、まだまだ 勉強不足だなと痛感しています。

というものでした。

それに対して私はいかのように返答しました。

話の中に出てくる病院の姿勢の背景にあるものは聞きそびれてしまい明確でないのですが、別の病院の話では、「とにかく切る! つまり手術をしたがる」というケースもあるようです

単純な社会的入院なら確かにあまりもうけられないかもしれませんが、切って手術すれば立派な病人。保険点数も稼げますし、少なくとも手術部位の治癒は期待できますから

さすがにこの辺りは我々では手出し、口出しできない領域ですね。しっかり勉強したマスコミあたりに告発してほしいものだと思います。(いずれは自分もそこまで達したいものだとは思いますが)

しかし、施設は病院に怯え、家族は預かってもらっている手前施設に怯え、病院は何かあった時に訴えられるから家族に怯え・・・。

なんだかなあですね。もっと言いたいことを言い、聞くべきことを聞いていくようにすればこうした矛盾は解決できるようになると思います。お互いしっかりコミュニケートできないから、聞けなかった部分は想像で、つまり疑心暗鬼に陥っているだけではないかと思うんです。

こうした無駄な部分も少しずつでも変えていきたいものですね。


新たに知ったこと、考えたこと

コメントを下さった方がお書きになっているようなことは、決して大げさではなく、多くの介護スタッフが感じられている矛盾、驚き、悲しみだと思います。

それでは医療機関が一方的に悪いかといえば、私はそれもまた誤った考え方だと思います。過日テレビ東京系の番組「カンブリア宮殿」で神の手を持つといわれる旭川の脳外科医上川先生が取り上げられた回がありました。番組概要はこちらです。

その中で「外科医の世界が今、危機に立たされている。外科医を希望する医師が減少している。大きな理由の一つが、訴訟の問題。一生懸命、患者を助けようと努力しても、それが叶わぬ場合、誤解を生み、訴えられるケースがある。医師として、病院として、例えそれが“白”であったとしても。」「現場の医師に突き付けられているのが、医療費削減の問題だ。「このままでは、日本の医療は金持ちのものだけになってしまう!」」と書かれています。

こうした現状を踏まえると、医者や病院が高齢者に対する医療に及び腰になることも理解できなくはありません

ではどうすればよいのでしょう。

私は泥臭い言い方、使い言い古された言い方になってしまいますが、やはり『関係者が互いに相手を理解する』ことだと思っています。

相手に対しての情報(事実)の発信、そしてその受信、そして理解をしっかりする、しかないと思っています。

直接相手と言葉を交わすこともとても大切です。現に上山先生も患者とのやり取りに相当の時間を費やしている様子が放映されました。そうして患者や家族に状況を理解してもらっているのです。逆に患者側からの質問にも丁寧に答え、相手が何を疑問や不安に思っているかを理解し、それを解決する努力も惜しんでいません。

上山先生も神の手を持っているとはいえ、やはり人間です。手術に失敗することもあります。この番組中でもそれを語っていましたし、以前見たNHKの「プロフェッショナル( http://www.youtube.com/watch?v=OZKzLc0qnQg )(ビデオには失敗している話はありません)」という番組では失敗した時の話をしながら涙している様子を思い出しました。

しかしカンブリア宮殿の文中にあるように先生は一度も訴えられたことはないといいます。これはやはり理解によるものだと思っています。

一方、ここにきてネットという個人でも総理大臣や大統領、世界中の人ととコミュニケーションできるツールがせっかく普及してきた状況を無視するのはもったいないと思います。ブログ、SNS、Twitterなどを通じ情報やさまざまな情報を発信し、時にはそれに対するコメントを読んで考えのすり合わせをしたり議論する。こうして理解を深めることも新しい手法ながら重要な手段となりうるでしょう。

昨今中東やアフリカでの独立運動が急に盛んになりましたが、まさにネットの力ですよね。これを他山の石にする必要はないと思います。何もネットの力を独立運動だけに使うことはありません。医療や介護などで関係者の何が問題で何が困っていて、どういう助けが必要なのかをあきらめずに発信し続けるのです。そうすれば理解者もおのずと増え、いつかは大きな変革の力へと発展させることができると私は信じています。

もちろん自分の我がままだけを声高に叫んでも誰も共感してくれません。相手を共感させるだけの材料を十分に吟味し、効果的なアピール法など戦略、戦術も必要になってきます。そんなのできない!いえそうしたことを容易にしてくれるのがネットであり、それを通じて集まった仲間だと思います。そのためにもたゆまぬ自分への理解、相手への理解が必要でしょう。

まだまだ小さな力しか持たない私ですが、こうして書き連ねたことの実現を夢見て、そしてそれを信じて情報発信をし続けていきたいと思います。


また一つ新たな意見を得て、思いをまとめることができました。感謝です。

もし文中や事例などに誤りがあったり、こうした情報もあるよという方、是非ともお教えください。


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