最近、過去を振り返ることが多い。




僕が過去に、

死ぬのを諦めたのは、

「存在の暴力性」に気付いたから。




僕という存在は、

すでに誰かの『環境』。




『環境』は、場合によっては、

誰かの人生を変えてしまう。




そんな、

「暴力的な存在」になることに、

僕自身が耐えられなかった。




だから、

誰かの『環境』でなくなるまで、

僕は死んではならないし、

『普通のフリ』をしなくてはいけない。




「本当の自分を分かってもらう」

なんて、幻想だ。




そんなもの、

誰も望んでいない。





望まれる『環境』を演じること。





少なくとも、「親」には。





それが、

僕が「死なない理由」だった。








今は、

『死なない理由』ではなく、

『生きていてもいいかな』と、

そう思える理由というか、

考えがある。





『死なない理由』と、

『生きている理由』。

両者は似たような概念だけど、

根本が全く違うと思う。