これは備忘録としての自分の記憶。そして・・・・・

 

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10年前の今日の昼頃、それは突然、起こりました。

これまでの日常とは、あまりにもかけ離れていたため、

目の前で起こってる出来事がまるで現実じゃないような

気がしたものです。

 

風向きのせいもあって小林市に降灰することもなく、地響きと

空振、そして巨大な噴煙が見えるのみであった所為でしょうか。

 

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ただ、夜になると微細動が窓ガラスを止め処なく鳴らし、

その音が否が応にも心を不安へと駆り立てて、家から

逃げ出すように車で外へ出たのを今も覚えています。

 

 

微細動はその夜で治まり、時折 降灰があったり、

空振が聞こえたり、警戒しながらも徐々にその中で

生活できるくらいには慣れることができたものです。

(それに慣れていかないとまともに暮らしていけません)

 

 

 

 

数日後、小林市にも大きめの実害が及びました。

小さな噴石が降ったのです。

新燃岳に近い家は上の写真のものより大きなものが

降ったようで、ソーラーパネルが割れる被害が出たそうです。

 

 

ただし、それ以降、最初の時のような大きな噴火も(上の写真の

ような噴火こそありましたが)、微細動も、噴石も起きることなく徐々に

終息していきましたが、未だ火口周辺には入山規制が出ています。

 

 

お隣のえびの市では一昨年、同じ霧島連山の硫黄山から

噴煙が上がり水質が悪化、江戸時代は島津の殿様への献上米を

生産していたほどの米所の農家さんの一部は、米が作れなく

なりました(現在は対策が進み、原状回復とは至らないまでも

だいぶ生産可能になったようですが)。

 

 

 

それでも、麓で暮らす人々はどうにか生きています。

 

それは、そのことを受け入れて、みなと協力しながら対策を講じて

きたからだと考えます。

 

 

 

いま、このコロナ禍でマスクをしなかったり、不要不急の外出をしたり、

未だにそのような方がいらっしゃると漏れ聞きますが、それは果たして

この災厄を受け入れていると言えるでしょうか、みなと協力していると

言えるでしょうか。

 

 

 

もしそれでも大丈夫であったなら、もしかしたらそれは逆に運が無いと

言えるかも知れません。

このときの無事であった体験がクセと染み付き、もし後々にも同じような

ことが起こった際に、また同じように自分で自分自身を殺すような行動を

してしまいかねないですから。

或いは、「類は友を呼ぶ」――過去の自分の記憶や、変えられない本性が、

嘗ての自分のような者たちを引き寄せてしまいかねないでしょうから。

 

 

天網恢恢疎にして漏らさず」――それは天が戒めるのではない、

過去の自分が未来の自分を戒めることなのではないでしょうか。