●宝勝如来 / 過去宝勝如来 (ほうしょうにょらい / かこほうしょうにょらい)
(※画像はwikipedia「宝生如来」より)
施餓鬼会(せがきえ)の本尊たる五如来の一尊で、
南方に位置し、施餓鬼会での五枚五色の旗では、
黄色で示される。
五智如来の一尊である宝生如来に同じであるが、
施餓鬼会の本尊とする場合は、「宝勝」と書される。
宗派により、ここへ多宝如来を位置付ける場合もある。
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例の如く、施餓鬼会に関しましては過去記事(↓)を。
前述通り宝勝如来は宝生如来のことであり、
他の五如来が異名であるのに対し、こちらは単に名前の
文字違いです・・・しかも一文字だけ。
まぁ多宝如来を割り当てる場合もあるようですが。
また、真言宗では名前の頭に「過去」を着けるようです。
で、
こちらの如来の真言も、加持飲食真言を唱えた後に、
唱えるとその如来の御利益が得られます。
改めて書きますと、加持飲食真言は、
「ノウマク・サラバタタギヤタ・バロキテイ・
オン・サンバラ・サンバラ・ウン」 です。
ただ、
飽くまで私個人はですが、
正直いって宝生如来の霊験には懐疑的です。
その理由は、以下(↓)を読んでいただければと。
さて、宝勝如来の御利益ですが、
「貪りの心から生じる悪行を祓い、自己への
清らかな心、他者を思いやる心を蘇らせる」
というものです。
宝生如来の御利益が
「願うもの全てを授ける」
というものでしたので、なんだか少し相容れない気が・・・。
「貪りの心」というのがどの程度のものか具体的ではないですが、
無欲を本懐とする仏教からすれば、「欲」そのものが「貪りの心」と
解釈できなくも無いため、まるで御利益同士で打ち消し合ってる
ような感じになってしまいますな・・・。
これでは宝生如来の霊験が宝幢如来に優らない理由も
わかるような気がします。
もし、この御利益の違いが初期仏教と部派仏教の違いに
端を発したものであるのならば残念な事です。
まぁ、どんな宗教も思想の違いで分裂しますからもはや
詮無い事ですが。
(※思想の違いで分裂するのも、根本を否定してまで断固貫かんとすれば
貪りの心だと思わなくもないですけど・・・)
ともあれ真言は
「南無宝勝如来(なむほうしょうにょらい)」
真言宗では
「南無過去宝勝如来(なむかこほうしょうにょらい)」
です。
施餓鬼会で用いる以外の真言は、
「ナウボ・バギャバテイ・ハラボタ・
アラタン・ナウヤ・タタギャタヤ」
になります。
印は宝生如来の与願印でよいかと思います。