●粟嶋神巳待祓 (あはしまじん みまちのはらひ)

(※画像はwikipediaから 「和歌山県 淡嶋神社」)

 

自分、粟嶋神(淡島神)という神のことを、この祝詞を

読むまで知りませんでした・・・・(恥)。笑い泣き

粟嶋――と聞いて、自分は「お菓子の国 あわしま堂

しか思い浮かびませんです・・・。キョロキョロ

 

なので調べてみたら、

出自は民間信仰の神ながら詳細は不詳で、少彦名神

習合されるも神仏分離に伴い、殆どの神社で少彦名神に

置き変えられたと・・・・

なんとも実態の見えづらい神様なんですな。真顔

 

とはいえ、粟嶋神社淡島神社は、稲荷神社や

天神系神社の数には及ばないまでも全国にあるようです。

 

また、祝詞を読む限り、少彦名神を祀る祝詞という

感じですので、少彦名神を祀る神社で奏上しても

良いかと。

 

 

 

人津霊 少彦名夫己巳とは (ひとつみたま すくなのかみそれつちのとみとは)

慎を 本とする 身を云 (つつしみを もととする みをいふ)

身待は 普く人を 祭事ぞ (みまちは あまねくひとを まつることぞ)

人は 則 萬物之長なれば (ひとは すなはち ばんぶつのおさなれば)

是を祭るを 寶眞道と云 (これをまつるを みまちといふ)

然り 運命良長として (しかり うんめいりょうちょうとして)

薬力粟嶋之 神慮に叶ふ (やくりきあはしまの しんりょにかなふ)

 

謹請 再拝再拝 掛麻くも 賢 (きんじゃう さいはいさいはい かけまくも かしこき)

少彦名尊の 宇津の廣前に (すくなひこのみことの うづのひろまへに)

恐み恐み 申す (かしこみかしこみ まうす)

 

抑 巳待之神と 奉申は (そもそも みまちのかみと まをしたてまつるは)

高皇産霊之尊の 御子にして (たかみむすびのみことの みこにして)

一千五百柱の 末男子 (いっせんごひゃくばしらの すゑのみこ)

少彦名命也 (すくなひこなのみことなり)

御長 小作御座て 粟を御船として (みたけ ちひさくましまして あはをみふねとして)

紀州灘 佐之郡に 着給ふ (きしうなだ さのごほりに つきたまふ)

依之 粟嶋大明神と 祭奉 (これによって あはしまだいみゃうじんと いはひたてまつる)

干時 大國神大巳貴命と (ときに だいこくじんおほなむちのみことと)

力を合せ 御心一つにして (ちからをあはせ みごころひとつにして)

天下の 蒼生人の病を (あまがしたの あをひとぐさのやまひを)

療治給はんと 醫術之道を (いやしたまはんと くすしのみちを)

始給ふ 元祖也 (はじめたまふ ぐゎんそなり)

其巳 壽 永 安かにして (そのみ ことぶき ながく やすらかにして)

孫の孫 八十續まで (うみのこ やそつづきまで)

不絶事を 守給ふ神也 (たへざることを まもりたまふかみなり)

殊に 父は 天にして 母は 地也 (ことに ちちは あめにして ははは つちなり)

気脉 氏をば 父神より請 (きみゃく うぢをば ちちのかみよりうけ)

骨肉をば 母神より受く (こつにくをば ははのかみよりうく)

故に 土野との身とは 申奉也 (ゆゑに つちのとのみとは まをしたてまつるなり)

今に至まで 萬民 己が巳の病を (いまにいたるまで ばんみん おのがみのやまひを)

此神へ 祈 身健 (このかみへ いのり みすこやかに)

福を 奉待 故 (さいはひを まちたてまつる ゆゑ)

身待之神とは 申すなり (みまちのかみとは まをすなり)

神力 神妙の 大なる 功徳を (じんりき しんみゃうの おほひなる いさをしを)

厚く 敬ひ 深信て (あつく うやまひ ふかくしんじて)

病難 奇難を 祓除て (びゃうなん きなんを はらひのぞきて)

子孫 長く 常盤 堅盤に 守護 (しそん ながく ときは かきはに まもり)

福給へと 謹み 謹み (さきはひたまへと つつしみ つつしみ)

恐み 恐み 申す (かしこみ かしこみ まをす)