ようこそぬはり社短歌会のブログへビックリマーク
 
菊池知勇先生は、前回紹介しました幼稚舎の歌もそうですが、多数の名曲を作詞しています。その依頼の多さに本人も驚いていたようで、
 
「私はいつの間にか音楽教科書の作詞家になってしまったらしい。」
(菊池知勇全歌集、生活記録)と述べています。
 
音楽教科書の作歌は、大正一四年の「世界唱歌名曲集」三巻三六曲の作歌がきっかけで、
「新編女学唱歌」四巻の四八曲(大阪開成館、大正十五年)
「現代女子音楽教科書」四巻の四八曲(培風館、昭和二年)
「新編音楽教科書」五巻の六〇曲(培風館、昭和二年)
「昭和中等音楽教科書」五巻の七五曲(六星館、昭和七年)
「昭和女 子音楽教科書」五巻の七五曲(六星館、昭和七年)
「中等音楽教本」五巻の三五曲(六星館、昭和十二年)
ここまで、三七七曲も作詞している計算です。他に小学校用のものもあったそうです。
 
校歌では、
平館、相良、丸瀬布(以上高校)
摺沢、奥玉、折壁、大更、猿沢、藤沢、鬼柳、増田、江田、真城、綿内、北、横川目、大更第二(以上中学校)
千厩、奥玉、南方、安俵、田沢、愛宕、綿內、保呂羽、津谷川、江釣子、松尾鉱山、大更 (以上小学校)
岩手県の学校を中心に多くの校歌をつくっています。
作曲は東京音楽学校を卒業し、上野学園大学音楽部教授でもあった、長女るり子さんが手がけているものが多く、親子で力を合わせたいずれも秀作です。
 
まごころを吾がひたこめしこの校の校歌を歌ふ子等のいとしさ(綿内)
 
 

ランキングに参加しています!


にほんブログ村


にほんブログ村

ようこそぬはり社短歌会のブログへビックリマーク

 

幼稚舎の歌を作詞したのは、当時、幼稚舎に奉職していた菊池知勇先生です。

 

  福澤の 大先生の
  お開きなさった 慶應義塾
  その幼稚舎の われらぞみんな
  よい子になろう 気をそろえ
 

  福澤の 大先生が
  お残しなさった 自尊の教え
  そのみさとしを 身におこなって
  よい子になろう 気をそろえ

 

作曲は、当時の音楽教師、江沢清太郎先生です。

大正十四年頃より歌われていたようです。

幼稚舎創立50周年にあたる時期です。

 

慶應義塾幼稚舎は、日本で最も古い私立小学校の一つで、

福澤諭吉先生の教えである、
「独立自尊」「共に思いやりの心を持って、自分のできることを一生懸命する」

を守りつつ、現在もその伝統や文化を受け継いでいる素晴らしい学校です。

 

 

ランキングに参加しています!


にほんブログ村


にほんブログ村

ようこそぬはり社短歌会のブログへビックリマーク

 

清宮彬先生が慶應義塾幼稚舎に赴任したきっかけは、小林澄兄主任(校長のこと)が、岸田劉生氏に対し、図画教師の推薦の依頼をしたことから始まります。

(岸田氏は洋画家で代表作「麗子像」が有名です)

岸田は草土社系の清宮先生と河野通勢先生を紹介します。

 

当時の様子を岸田劉生氏が、その著書『図画教育論』(大正14年 改造社 附録 慶應義塾幼稚舎に於ける圖畫教育 120頁)の中で次のように述べています。

 

 「慶應義塾幼稚舎にはかなり前から趣味のいい上品な芸術教育に対する理解ある先生がゐられて、児童の作品集である智慧といふ雑誌など発行されてゐたが、二三年前より図画教育の上に更に大胆なる拡張をせられた。それは児童の図画の先生として、一流の画家を願った事で、しかもその一流といふ事が他の官学的な見地からでなく、全く世間の風評に関せず、真に実力に於ける一流の人を選んだことである。

 

 河野通勢、及び清宮彬氏の二氏がそれであって、今日の画家の中深い美の事を内から深く知っている人としてこの二氏は実に得難き人々である。清宮氏の如きは、殊に図案、又は装飾の美術の事に優れた智恵を持ってゐる人であって、私の云ふ ところの装飾法等を教へ得る人としては同氏の右に出る人は先づあるまいと思はれる。

 

 かかる優れた画家に教えられてゐるのだから、慶應の幼稚舎の生徒は誠に全国中唯一の幸福な児童と云ふ可く、又慶應義塾は全国唯一の完全な図画教育を施してゐる学校として誇る可きだと私は私かに思ってゐる次第である。」

 

一流の画家による美術の手ほどきを受けた子どもたちは、本当に幸せだったと思います。そんな学習環境を大正十二年の頃には作っていたとは驚きです。

 

 

ランキングに参加しています!


にほんブログ村


にほんブログ村

ようこそぬはり社短歌会のブログへビックリマーク

 

「ぬはり」創刊号から表紙絵を飾っている、清宮彬さんについて紹介します。

 

菊池知勇先生の歌に

清宮彬の表紙絵牧水の巻頭歌ぬはり創刊号堂堂と出づ

 

とあるように、清宮先生は初期の頃の「ぬはり」表紙を描いた方です。

 

清宮彬( せいみや ひとし)先生の略歴
 
1886年(明治19年)~1969年(昭和44年) 洋画家、版画家。
1886年12月23日、広島市に生まれる。東京府立第一中学校を卒業後、白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所にまなび、黒田清輝に油彩画などを学びました。
この研究所で岸田劉生(りゅうせい)や岡本帰一らと知り合います。
1912年(大正元年)、岸田劉生や斎藤与里、高村光太郎らとヒュウザン会を結成。
1914年、第14回巽画会に出品した油彩画が最高の二等賞を受賞。
1915年、岸田劉生らと草土社を創立。
1931年(昭和6年)、日本版画協会創立に際して会員として参加する。
1969年(昭和44年)、10月5日死去。82歳。
油彩画、、版画、ポスター制作など多くの作品を残しています。
 
ところで、清宮先生と知勇先生はどこで知り合ったのでしょうか?
 
調べていくと、清宮先生は慶應義塾幼稚舎や中等部の美術教師をつとめていたことがわかりました。当時、小林澄兄幼稚舎主任(慶應義塾文学部教授、教育学)のもと優秀な教員が幼稚舎には集められました。現在でも日本有数の小学校なのは、みなさんもご存じの通りです。
さて、幼稚舎の教職員名簿によれば、大正12年6月~昭和19年3月にかけて清宮先生は図画を担当していました。
菊池知勇は大正8年4月~昭和19年3月に幼稚舎の教員をしています。
ここで共に綴り方雑誌や児童読本などの制作を行っています。
その友情から「ぬはり」の制作にも関わってくれたものと思います。
 
 

ランキングに参加しています!


にほんブログ村


にほんブログ村

ぬはり社短歌会のブログにお越しくださって、ありがとうございます!

6/13(水)に神楽坂で東京歌会が行われました♫
その時のようすをお伝えします。


神楽坂にあるギャラリー「アートスペースK」が東京歌会の会場です。


今回は40代〜90代が参加(^_^)

東京歌会は…

自由題であらかじめ各自が提出した2〜3首を、氏名はふせたままで、読みあっていきます。
だいたい、各自の個性がわかってくると、「あっ、あの人の短歌かな?」とピンとくるようになるのも面白いです(^^)

こんなふうに、提出された短歌がまとめられて渡されます。
おまとめ役の方、ありがとうございます!

作品の質が高くて、ブログ管理人もみなさまについてゆくのに四苦八苦(^^;;
もう少し頑張らないと…と反省しました(-_-;)

その後、提出された短歌から、一番良かった短歌を1首選びます。
その歌を、みなさんでご一緒に朗詠します。
今回、選ばれた秀作は…

梅落ちるかすかな音の分かるほど静かな雨や梅雨入りの日の
(東京支社 94歳の短歌)

梅雨入りを迎えた日の静かな1日を、「音」に焦点を当てて詠みこんだステキな短歌です♫

その94歳の方のもう1首は…

珍しく車の音も聞けぬほど静かな晝(昼)や梅雨入りの午後

東京の都会の喧騒の中での94歳の暮らし。
そのようすをスナップのように切り取っています。
今回も元気に歌会に参加してくださって、とても嬉しかったです(^_^)

東京歌会の短歌はtwitterでもご紹介します。



その後、11/25(水)に参加が決まった、文学フリマ東京のお話をしました。
歌集の見本をお見せして、どんな歌集を作るか話し合ったり、歌集を作る方を募集したり。
東京支社で合同で1冊の歌集をつくる案も出ました。
どんな歌集ができあがるか、とても楽しみです♫

ギャラリーに、東京歌会のご案内を置いています。
ショーケースにありますので、ご自由にお持ちくださいませ。




アートスペースKの外の案内板にも、東京歌会のご案内があります。
見学大歓迎です!
いつでもご連絡ください🎶

歌会記念の集合写真です!
あっ、ブログ管理人は撮影者なので、写っていませんf^_^;

次回、7月の東京歌会は…
7/11(水) 13〜15時
こちらの日時で行われます。
場所は同じく、神楽坂の「アートスペースK」です。

次回も会員のみなさま、よろしくお願いいたします!
もちろん、初めての方もご見学にお越しくださいませ♫
お待ちしてます(^_^)