◆
なんか、変な事を読んだ事がある。古代、大陸であったという呪術。蠱毒(こどく)という方法。
一つの壺に、あらゆる毒虫を入れて、それを土に埋めて戦わせて、生き残った最強の一匹を使って、強力な呪いの力にする方法なのだそうだ。
生き残った最強。ひとりで勝ち残る。
なんだか、それが、「問題のある家庭」とか「一方的な価値観な社会」とか。そんなふうにも見えてしまった。
ひとりで生き残るために強くなる。
――※1
もしあなたが
「強者」なら
自然の摂理に従って
僕を食べてください
弱いまま生き続ける事は
屈辱でしかないから
あの時 もしも
あの小鳥が
食べられずに
空をずっと
飛んでいけたら
僕も飛べたかもしれない
僕も違う生き方が
できたかも
しれない
◆
上で出した詩は、昔読んだ漫画の中に出てくるのだが、最近読んだ漫画でも、ちょっと、そんなテーマも入っている漫画を読んだ。
(「キングダム」原泰久 集英社 2006年9月より連載中)
古代中国の戦国時代が舞台の複雑にいろいろなテーマが入っている物語だと思うが「強さとは何か」ということも入っているような気がする。
あらゆる関係性や感情の交流を絶って、修行して、強さそのものを目指す者。
純粋培養みたいな桁外れな強さを手に入れている。
でも、仲間と一緒に、もまれながら強くなった者に、手こずる。
なんで、感情的なしがらみがある者に、自分が勝てないか。彼らは、わからない。
どっちが正しいか、どっちが強いか、という答えが描かれているわけではないが、「ひとりで修行する」者の強さと、小ささや脆さというか。
どちらかというと、一人でがんばろうとし、結果だけを気にしていた自分は――自分の弱さだけは絶大な自信があるが――考え方が、断ち切って強くなろうとする方だったなあと感じた。
拙い頭で、合理的な努力をして対抗しようとしても、予想外の事が起こっては崩される。
なんか、似ている感じがする。
◆
こんな事を聞いたりもした。
「自分の力だけで治ったという人は、物凄く性格が悪くなる」
「特定のドクター。特定の薬という形で治った人は、回復の足腰が弱い」
というような意味の事を言っていた専門家がいた。
大雑把には、わかる気がする。長年患っている人は、いろいろな要因が重なっている。
わかりやすい所を取り出せば、オキシトシン(愛情ホルモンとか言われてた。信頼している人(動物でも)と一緒にいると出るそうな)とか、アセチルコリン(間違えた)コルチゾール(ストレスが高い時に出るらしい。魚でもストレスがあると出てるそうだ)とか、そういうものになるのかもしれないが。
「治るのを諦めた所に道がある?」
ここは、正直わからない。委ねるという事がわからない。
治るのを諦めると、自分は、生きる事を諦めるみたいになる。
自分にできる事なんか、そんなに無いのかもしれない。
わからない。
ここは、まだ、自分にはわからない。
◆
ただ、難しい毒を抱えた自分が、壺の中で修行をしても、感情と感覚を切り離した努力になってしまい、ますます、おかしくなっていくのを感じた。理解してくれる人も、頼れる人がいないから、と諦めて、強くなる者を目指して、成功したとしてもあんまり良い者にはならないだろうな、という事だけは、感覚としてわかる。
そういう錯覚をして醜悪で凶悪になった人たちを見てきた。実感として、あれは、他人事ではないと感じた。
一生懸命何かをしようとした人の方が、方向性が間違った時に、酷い事が起こる。
◆
非常に辛いし、まだ、生きる事を楽しめているわけではないが、いろんな人と話すようになった。
まだ、心の中の隙間が小さすぎて、緊張や不安が酷くて、うまく人の話を聞けない。頭に入っていかない事も多い。でも、聞こうと努めている。
前にも書いた事だけど、あまりにも、疲れ過ぎていて、別の感覚を持ってしまった人には、
「感覚の持ち合わせがあって、感覚の仲立ちをしてもらえる人が必要」
これも、一人で、感覚の離れた健康な人と直接交渉は難しい。
◆
方法はともかく、自分の感じている事や、考えている事を、かなり無理しながら、長距離移動をしながら、伝えたり分かち合うようになった。
以前、自分の思っている事を正直に言っても、それが伝わらないと、絶望した時、穏やかな想像をする事、自体が難しくなった。
切羽詰っている人が、車で一緒に海に突っ込持ちかけてきた時にも、ほんのちらっと、考えなくもなかった。
いろいろな本を読んだり、穏やかな音楽、絵、物語を読んでも、穏やかなイメージがわからないんだ。
穏やかさをイメージする事自体ができなくなっていた事に、なんだか、凹んだ。自然やアイドルにも、脳内でも心を許せる存在がいないのか。
綺麗な花、動物、イケメン、優しい女性。難しい。
明らかに今までは、異質な心身の病み方だった。
◆
ああ、自分の中に、強烈なおぞましいものが生まれたと思った。蠱毒が生まれたって思った。
生き残っても最強の毒虫になって、周りに呪いを振りまく存在になるのは、嫌だ。
自分の事を伝えるたびに、誤解を受け、調整に心を砕くのは、本当にしんどい。でも、それをやめて、極端な力に頼るのは、蠱毒みたいなものだ。
◆
大きかろうと小さかろうと、毒虫にはなりたくない。
自分の気持ちをちゃんと伝えた方がいい。そちらの方が、まだ、良いものに近い気がする。
わけわかんない、哲学的な話になってしまって、すみません。
読んでくださって、ありがとうございました。
◆
――※2
煙は空に上がり
雨になって
植物の花を
咲かせ
人は死んで
焼かれて
灰になり
土に返っていくし
食べられた動物も
糞になって土に返り
養分となって
花を咲かせる
だから
弱い生き物
として
生まれたから
といって
嘆く事なんか
ないんだよ
だから
※1,2ともに
遠藤浩輝短編集1 講談社アフタヌーンKC「カラスと少女とヤクザ」 1998.4.23より