(35)心のお守り的なもの。心の地面が壊れた感じについて。 | ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

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筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群というわかりにくい病気について、症状、感じた事、試した事について書いています。
何か、参考になったら幸いです。

■35.心のお守り的なもの

 

◆35-1.問題があっても公平に話し合える相手

 

先日、友人と電話で話していた。病気について、理解があり、いろいろな事を話し合えるとても、大切な存在である。

問題を抱えている自分に対して、無理解か、あるいは、アンバランスな一方的な同情ではなく、公平に話し合える感覚を持てる人は、なかなかいない。

私とは違う種類だが、友人自体も、難しい病気を患っているので、そういう事も関連するかもしれない。

でも、同じ病気だとしても、アンバランスな一方的な同情関係になってしまう人もいるので、そこは、やはり貴重。

自傷的な努力について、何度も話し合っていた。普通は、害の無いような事、自分のためになる事でも、のめり込むと止まらなくなる。やり過ぎてしまって、調子を崩す。友人もそういう所があるそうだ。

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◆35-2.やり過ぎな努力が止められない

 

私がいろいろな工夫や努力している、あるいは、それを、わかっていてやり過ぎて止まらなくなる事を聞いていて、友人は、

「心のお守り的なものがありますか?」

と聞いた。最初わからなかった。神社のお守り的なもの?

「そうではなくて、例えば、私の場合は、具合が悪かったら頓服を飲んで寝る。

もちろん、具合の悪さが続く事もあるけど、そうすればいい、というものがある。

お守り的なもの。

薬でもいいし、物でもいいし、好きな人、尊敬する人、信念、信仰、なんでもいいけど、そういうものがある?」

「私の意識的にはゼロ」

そうなんだ。身の回りで、家族が死んだり、仕事を失ったり、呼吸の力が80歳代になったり、座ってられない、休めない、薬にさえ、信頼を失った。

ここは大丈夫。この時間は大丈夫。この人間関係は、大丈夫。そういうものが、ほぼゼロ。

情緒不安定な上に、頭回らないから、常に、駆け引きか交渉事みたいな感じで、人と会話してるし。

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◆35-3.精神障害の人が薬を飲み続けるという事

 

もう一つ深刻だったのは、病気と薬に対する特別な思いだ。これは、亡くなった父と関係がある。

これを思い出すのは辛いのだが、亡くなった父は、双極性障害Ⅰ型という発病すると、病識が無くなり、乱暴になる傾向の精神の病を抱えていた(もちろん、病気っていろいろなタイプがあるので、乱暴にならないタイプの人もたくさんいます。くれぐれも、ここは誤解の無いようお願いします)。

何度も、発症しては、入院した。

でも、父の場合は、薬さえ飲んでいれば、普通の人だった。母が薬を飲まなければ離婚だ、というふうに、きつく言って、薬を継続していた。

それで、幸いな事に定年まで仕事もできていた。

ぐずぐず調子の悪い私は、長年うつ病という診断だったが、抗うつ剤が、どうも効かなかった。それで、だらだらと気分が下の方で、波を持つ不調が出る双極性障害Ⅱ型という病気じゃないかという話になった。薬を抗うつ薬から、双極性障害Ⅱ型に使う薬に変えたら、長年、動かなかった不調に徐々に改善が起こり、仕事ができるようになった。

双極性障害の場合、一生、薬を飲んでいた方が、リスクが少ないと言われている。

薬を飲んでいれば、何とかなる場合がある。

それでも、薬を一生飲み続けるというのは、自分で自分の精神がコントロールできない事を認め、一生、自分の病気と向き合い続けるという事だ。精神の病なのに、精神力が――あるいは、何かを信じる心だろうか――それが、必要なんだ。

なった事がない人はわからないかもしれないが、精神の病はそういう苦しさもある。

副作用以外にも病気に向き合う事が苦しくて、薬だけやめてしまう人がいる。父もそういうタイプだった。それを、自分はやってはいけない。やらない。

薬さえ飲み続ければなんとかなる。そうしなければいけない義務を感じていた。

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◆35-4.一番なりたくなかった暴力を振るう人に自分がなるかもしれない

 

しかし、仕事先が、潰れた。兄が死んだ。母も体調を崩し、私も体調を崩した。父は十数年前に、肺炎で亡くなっていた。

どういうわけか、体のあちこちが痛み始めて、全身がこわばり、関節がポキポキと鳴り痛んだ。会話が辛くなった。脳が、変な興奮をし初めて、ときに、物騒な考えが思い浮かび、とても怖かった。

元気が無くて、ときに、休む。ただ、元気ないの、トホホ。これは、受け入れる事ができた。

興奮と物騒な考えというのが、出てきたのは初めてだったので、そちらの方は深刻に悩んだ。

自分は、理性を失い、家族に深刻なトラウマを残した父のように暴力的になるのか?

これも大変なストレスだった。

双極性障害は、遺伝的要因もあるといわれているので、なおさら。

双極性障害だけでなくて、この体の痛みは何なんだ?

その上、いろいろ試したが、薬が効かない上に、副作用の方が強くなる。

力づくで抑えている感情も、どんどん不安定になる。不安定さを止めよう安定剤を増やすと、寝たきりになる。

筋肉が痩せて、歩けなくなっていく。コントロールのつかない精神でリハビリをしようとする。

薬を飲んでいれば、大丈夫という感覚も壊れた。

薬を減らして、理性を失い、暴力を振るう存在になる?

あるいは、たくさん精神安定剤を飲んで、寝たきりの認知症になる事を受け入れるしかない?

(冷静に考えれば、三つも四つも辛い事があったら、多少、乱暴な考え方になる事があるのも――実行するのは大問題だが――無理もない事なのだが)

痛みと興奮の合わせ技で、酷い疲労があるのにもかかわらず、休むという事ができない。

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◆35-5.トラウマを抱えた母を刺激

 

それから、母もまた父の問題行動でトラウマのある人で、強迫的な言動が出始めた私に不安を感じていた。

私に対して、

「今、躁状態なの?」

とたびたび聞いた。結果的に悪い刺激になった。怒ると、躁状態、と受け取られるので、怒ることもできない。

ただでさえ、平静でないのに、極端に感情を抑え込むようになった。

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◆35-6.心の地面崩落

 

頭が回らず会話も非常に苦しいので、乱暴な事をしたわけではないが、人間関係も、どんどん失われた。

理解ある友人と電話しようとしても、奇妙な痛みで電話も受話器を持ってられない(後にヘッドセットを使う事を思いついて用意した)。

薬、休む、友人、家族、趣味。

これはやっていても大丈夫。ここにいれば大丈夫。この時間は大丈夫。この人間関係は大丈夫。

すべて、自分の中で壊れたんだ。

ある夜、ぐしゃって頭の中で、何かが潰れた感じがあった。

心が折れるという表現があるが、そんなものではなかった。心の背骨が砕けて、心の姿勢が維持できない感じだった。

こういう複雑な事情を、伝える力が、当時の私は失われていたし、こういう事情を理解できる人もいなかった。

医師としては、事情がわからないので、取り敢えず、精神安定剤を増やすほか仕方ない。そして、寝たきりになってしまうので、私は、医師に対しても信頼を失い我流な工夫や努力を止める事ができなくなった。

それでも、どんどん心も体もダメージが溜まっていく。

だから、初めて感じた心の地面が無い感じの壊れ方で、物凄く自殺の方向へ引っ張られたんだ。

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◆35-7.自殺以外の解決策を探す

 

幸か不幸か、以前、自殺した友人がいたので、あれをやられた時の周りの辛さも、知っていた。それで、なんとか、耐えて、ほかのやり方を、無茶苦茶なやり方だけど、模索し続けた。

医師に我流でいろいろな事をやるなと、さんざん言われていたにもかかわらず。

死ぬことを選ばないために、そっちから目を逸らさせるために、自傷的な努力をするしか方法が見つからなかった。

元気そうだ、大丈夫だと言われていた違和感。

そりゃそうだ。自殺を防ぐための無意識の動きなんだから。

多分、そういう事だ。

これは検査で目に見える事ではなく、なんとか、無理やり動き、無理やり会話して、なんとか、こなしていた。

だから、そんなに深刻だったとは、私に会っていた多くの人は、思わないに違いない。

紆余曲折の末、現在、自分が生きている事は、幸運としか思えない。

朝からヘビーな長文。読んでくださって、感謝いたします。

 

m(_ _*)m