人間や世界に対する信頼 | ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群というわかりにくい病気について、症状、感じた事、試した事について書いています。
何か、参考になったら幸いです。

 

相当具合悪くなってました。

眠れないし、興奮が酷くなって、思考と思考が変なふうに結びつく。

とうとう根拠の無い周囲への疑い(妄想というものですね)が出始めました。

根拠が無い変な不安や疑いで、おかしいから、と思うって振り払おうとするのですが、止まらない。

ここが私の変な所なのですが、これは、心の病が次の深い段階に行く兆候だ。

「根拠のない、そんな気がする」が頭の中で病気に負けて「そうだ」になりそう。

危ないと思ったので、急遽、精神科へ行って、まとまらない頭で、なんとか、副作用少ない薬を交渉して出してもらいました。

少し睡眠が取れるサイクルになれたので、本当に良かった。

 

 

私の感じている痛みや疲労は、本当に誤解される事が多くて、痛みに対しても極端で、人から見ていても、妄想だとしか思われないみたい(実際、妄想という事で精神科の薬で治るなら、別にどっちでもいいんですけど)

それから、劣化バッテリー現象は、動けていたのに、体が動けなくなったり、頭も働かなくなって会話もおぼつかなくなるので、やはり、都合が悪い時に嘘ついてるんじゃないか。と思われる向きがあって。

 

まあ、とにかく、健康な人からすると、わかりにくくて、やりにくい相手なんです。(^_^;)

誤解ばかりされてると、自分の感じているどうにも難しい感覚を話せない上に、さらに我慢して頑張るって、

目に見えない檻の中で、服役させられているみたいな感じになって。

 

あまり詳しくは言えないのですが、自分の感じている事に対して感覚的にわかって、公平な話し合いをできる人(これは、お医者さんも、家族も、カウンセラーも、福祉関係の人もできなかった)がいたんですが、

去年の7月に亡くなっていたんです。

最近、少し、自分の通常は理解しがたい感覚や経験について、(共通する事もあるけど、状況がかなり違うので、共感とは違う。なんとなくわかるという感じ)【感覚的に理解できて、公平に話し合える人】と話し合う機会が増えた事で、もう一歩、改善が進んだ気がします。

 

自分の中に、病的に高まっていた、ふつうの人への激しい不信感と逆差別意識をちゃんと、認識する事ができたんです。

自分の中の、怒りと不信を歪んだ形じゃなくてちゃんと感じる事ができて、難しい表現ばかりで申し訳ないけど、

 

人間とか世界に対する信頼が少し戻ったのです。