筋痛症闘病記を書いてみた感想 | ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

ふつうに休みたい・生きる事をふつうに楽しみたい ――ある線筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群患者ブログ

筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群というわかりにくい病気について、症状、感じた事、試した事について書いています。
何か、参考になったら幸いです。

 

前にも書いたごとが、当時の私のJFIQ(線維筋痛症質問調査表、QOLを見る)の点数は90点代で相当高いものだった。私が通っている場所では、当時、最高点だったそうだ。

 

しかし、現実には、もっときつい方、車椅子や寝たきり、医療麻薬が必要な方、ほかの難病を併発している方もいる。

 

それを聞くと、なんだか凹む。そこまでじゃない自分は、何をやっているんだと、自分を責め、自分的には「リスカやODじゃないけど、ゆるい自傷行為」のような努力依存にはまる(これが、一番良くない……)。

 

病気を比較してはいけないが、それでも、自分にとって病気による生活へのダメージは深刻だった。

 

立っていられない。椅子に座ってられない。座ったときに、膝にバックを置いていても痛い。

 

立ちっぱなしもダメ。立ったり、座ったり、ストレッチしたりしょっちゅいしていないと移動はおろか、痛みで、その場にいられない、当時の私は、相当な不審者だったと思う。

 

実際、職質も受けたし。

 

「お巡りさん! 立っているの滅茶苦茶痛いんだよ! 私よりも、あのスマホイノシシ取り締まれよ! ぶつかられるとこっちは転ばされたり、大激痛だったりで大変なんだよ!」と心の中で、苛立っていた。

疲れ過ぎてゆとりを失っていると、正気を失う。恐れ過ぎなのは、わかるが、トラブルには、気をつけたいと思う。

どうでもいいことを書いたが、闘病記を書いていて、いろいろわかった事もある。

随分、いろんな事をやったんだなということや、一番酷いときより、改善されてるのに気づかなかった点の多さだ。

 

無理をすれば、短時間動ける。短時間だけ(調子が非常に良くて、連続1時間くらい)、作業できる、話せる。それなのに、能力が安定しなくて、働けない。家事も回らない。

 

姿勢や行動が維持できないというのは、もともと低かった、自己肯定感を、もっと下落させた。

しかし、画面を見て、座って長時間の作業なんて、無理だった私が、こんなに長い闘病記を書いている。(痛み紛らわしの無理もしているが)

少しは自分を褒めてあげてもいいかな、と、思えた。

そして、この複雑な病気の地図を自分なりに作れたような気がする。

 

この病気になってから「地図」というイメージが何度も浮かんだ。

 

感覚が調節されているという事は、自分の生きる場所や進む方向が、わかるという事だ。感覚異常があると、自分の心と体が、どの場所にあるのか、どこへ向かっているのかですら、わからなくなる。

 

そういう意味では、大雑把だけど、自分の地図が、できたような気がする。

 

あとは、修正したり、拠点やら、進む方向やら……

 

それでも、問題は山積みだ。

・続いている頭のこむら返り(のような現象)と感覚爆発は、やはりじっとしていても消耗。どうしたら?

 

・ここまで、自覚してるのに、リハビリですら強迫的になる、この大車輪はどうしたら治るの?

 

・問題無いって言われてしまうけれど、体の持久力の無さ、こわばりに対してのリハビリは、どうしたらいいの?

 

・こんなに孤立しちゃって、能力が安定しなくて、どっから仲間をつなげたらいいの?

 

そもそも、どう説明して、回復を手伝ってもらったらいいんだろう。

 

・薬が合わない人は、治療法も福祉サービスも分かち合う場所も無く、事実上、社会から引退するしかないの?

など、いろいろ生活上、切実に困る事がある。

 

ちょっとずつ、これに関して、また、書き溜めてできたら、アップしたいなと思う。

 

そして、最後に、患者を支えてくださっている方たちへ。

 

わけのわからない症状にもかかわらず、本人の基本的な生きる部分を、支えてくださってありがとう。

もし、本人の気持ちを理解しようとしてくれているのだったら、もっとありがとう。

 

母よ、ありがとう。

 

それこそ痛い文章の闘病記。

最後まで、読んでくださって、ありがとうございました。