何を持って人の死となるのか

自分自身 脳死となれば
私というモノが存在しなくなる
だから どうぞ使ってください
というスタンスだが

脳死を人の死とするかは
残された人の感情に左右される

本人の意図とは違う

本当に子を愛す人は
例え息をしなくても 腐敗しなければ
永遠に側に置いておきたい人もいるだろう

脳死状態でも
鼓動が聞こえる限り
生きていると信じたい人もいる

一つの方向だけで見るなら
移植の高額化や外国の医療拒否など
助かる生命をということからすると
脳死により家族の同意での移植というのは
待ち望んでいることだろう

情と論理

どちらが正しいというモノでも無く
どちらが悪いというモノでも無い

ただ 言えるのは
どちらを選択しても良いということ

この法案が通って
脳死で家族の承諾により移植が認められたら
私たちがするとこがある

それは 偏見を無くすこと

例え 移植拒否しても
その価値観を受け入れること
そういう社会になってなければ成らない

拒否した人たちを
批難するような風潮は決して有っては成らない

常に バランスだ
論理と情のバランスの取れた社会が
本当の豊かさのある社会と言える

単に感情や自分の価値観だけの世界ではなく
様々な価値観が共栄することが大切なのだから