昨日の記事の続編。

【冥王星】
あ~~、消滅してしまった。。。
昔から自然に太陽系の惑星として存在していた星。
遠い遠い遥か遠い惑星。
不思議と親近感がある。
定義付けが決まったのだから、
その定義に基づくのは理解できる。
というか、当然。
しかし、心情ではやはり寂しいものだ。。。

そうだ、ライダーマンのような位置づけはどうだろう。
一号からはじまり、数々の仮面ライダーが存在する。
改造人間。
その中に属するか属しないか存在する『ライダーマン』。
彼は、完全なる仮面ライダーではない。
しかし、人間でもない。
力も他の仮面ライダーに比べて非力。
しかし、何とも言えぬ存在感。
そう、冥王星は『ライダーマン』なのだ!!
そして、永遠に心に残る存在として、
決して消滅しないのだ。

↓ちなみに、この方がライダーマン
raida

***********************************************************************
【猫殺し】
知人より今朝、
エッセーの原文を貰って読んだ。
理解力が無いのか?
私は正直本意が分からなかった。。。
文面をそのまま取ると、やはり、理解に苦しむ。。。

動物を飼う人間としての覚悟を解いているのだろうか?
エッセーを通じて、この事の議論が高まることを望んでいるのか?
単に私は、こういう考えであるとだけ言いたいのか?
ホラー小説家ということでの話題性を狙ったものなのか?
凡人の私には、どの理由から書いたものか定まらない。。。

このエッセーは、著作権があるものだろう。
なので、blogに原文を載せるのは良く無いこと。
しかし、
私の価値観で書いた一方的な言葉だけでは、いけないと思う。
なので、原文を載せよう。

↓ちと長いですが、原文です。

 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。


以上。

ちなみに、昨日も当然、ウチの猫に勝利しました^^v
しかし、奴も考えたのか。
姿が見えないと思ったら、物陰から、猫パンチが!!!!!!
危なく、1勝されるとこだった。。。