萩本欽一という人の一言。
数日で撤回された。。。

責任ということであれば、
先日このBLOGで述べたように、
チーム解散までの責任は無いと私も思う。

しかし、一旦口にしたことを簡単に撤回するべきではない。

近年、言葉というものが、軽い気がする。
『やめる』を大勢の前で言う。
この事の責任は大きい。
言ったことを簡単に撤回しては、
言葉には、重みが無いということになる。

『武士に二言は無い』という言葉。
今は見る影も無い。

政治家でも、経営者でも、
自分の発した言葉に責任を持つ人が少ない。
後で、『知りません』とか、『状況が変わったので』とか、
言い訳をして、発言が無かったかのように、
平然としている。

それが大人であり、それが社会であるというには、
あまりにも虚しい。。。

私が小学校の時に、
教師より言われた一言がある。
『頭がおかしいのでは?』という言葉。
何故?私が『頭おかしい』と言われるのだ?
理由は、即答しないことにあった。

何かを聞かれても、
私は、すぐに言わない。
それは、よく考えてから言いたいだけであり、
考えれない訳では無い。

しかし、教育現場では、
その時間を待ってくれない。
早く答えろ!という感じである。

それは、社会に出てからも同じ。
会議でも即答を求められる。
しかし、いろいろなケースを自分なりに分析した上で、
最善の答えを出すことが重要である。

一旦口にした言葉は責任を持ちたいだけなのだが。。。。

だから、人に言ったことは、
自分でもしなくてはいけないと思う。
仕事であれば、言った事の結果に責任を持つということ。
私は、責任を持てないものに関しては、
責任を持てる状況ではないが、と一言付け加える。

でなければ、
私という人間を信用しては貰えないからだ。

しかし、近年言葉に責任を持たない人が増え、
なんとなく、それが当たり前のような風潮がある。
次第に、世の中とは、そんなものだというような諦めに似た、
慣れの世界にいることとなっている。
言葉は、責任を伴うもの。
そのことを忘れているのではないだろうか?

萩本欽一という人が発した言葉には、責任がある。
球団は継続し、監督は辞任というのが、
今回の騒動での責任の取り方ではないだろうか?

でなければ、
言葉とは何の意味も無いことになる。

しかも、彼は事前に協会長へ電話連絡をし、
あの会見となっている経緯を見ても、
つい言った言葉ではない。

確かに、
萩本欽一という人が、責任を痛感して言った言葉。
その波紋が本人の想像を遥かに超えたのかもしれない。
でも、
言ってしまった言葉。
この言葉を発した責任があるのだから、
ここは、萩本欽一という男を見せて貰いたい。

そして、数年後。
再起をすることを望みたい。

いいじゃないかって言う人も多いと思う。
でも、言葉を重んじる社会にならなければ、
断じて、良い社会など生まれるものではない。
お硬いって思うかも知れないが、
私は、そう思う。