★B28★ 平塚運一 木版画「林」限定100 1981年発行 詩と版画 裸婦百態 特装版 平塚運一より


「林」

版画

シートサイズ:20.1×15.3cm

作品サイズ:15.4×10.1cm

1968年制作

落款、サインあり

作品の状態は良好です

シートサイズ:23.2×18.1cm

状態は良好です 

画像でご確認ください

作品はこの版画と詩の1セットです



詩と版画 裸婦百態 特装版 平塚運一

1981年発行

瓦乱洞 オリジナル木版画全100葉揃(各サイン入) 序文「提唱 裸婦礼賛」・目次・別冊2冊「裸婦百態の完成に想う(嘉門安雄)・「裸婦百態讃歌(亀岡富雄)」 くちなし工房制作 限定100

(A.P.100)

上記の中の「林」の版画と詩の1セットのみの出品です

他の版画はヤフオクにて出品中です



真作を保証いたしますので、万が一、贋作と鑑定された場合にはご返金いたします。



その他の出品はこちら

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/nuchie_jp


平塚 運一(ひらつか うんいち、18951117 - 19971118日)は、島根県八束郡津田村(現松江市)出身の版画家。勲三等瑞宝章受章(1977年)、松江市名誉市民(1989年)[1]。

1895年(明治28年)1117日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得[1]。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった[1]。

1927年(昭和2年)から棟方志功らを指導し、1928年(昭和3年)には棟方や畦地梅太郎とともに雑誌『版』を創刊。1930年(昭和5年)には国画会の会員となった。1935年(昭和10年)には東京美術学校の版画教室開設にともなって教壇に立ち、1941年(昭和16年)からは日本女子高等学院や公立中学校でも教えた。1946年(昭和21年)には山根幹人(映画監督)らの協力を得て松江美術工芸研究所を開設した。1962年(昭和37年)には渡米して、活動拠点をワシントンD.C.に移し、アメリカ各地で個展を開くとともに版画の普及に努めた[1]。日本国内においても地方での版画普及活動に熱心であり、棟方、畦地、菊地隆知、北岡文雄など日本を代表する版画家を育てた。

1977年(昭和52年)には勲三等瑞宝章を受け、1989年(平成元年)には松江市名誉市民に推挙された[1]。長野県内の版画普及に携わった功績を称えられ、1991年には須坂市に須坂版画美術館・平塚運一版画美術館が開館した[2]。1997年(平成9年)1118日、102歳で逝去した。